明治時代の中頃、日本語を統一するために国会を中心に標準語教育が叫ばれた時期がありました。

 

全国各地で使われていた郷土色あふれる方言を禁止して、共通語を使うように推進したわけです。

 

そうすることで、全国で同質の教育も可能となり、各地から優秀な人材が輩出し、日本の近代化が進んだのでしょう。

 

各地の生活習慣・風土・文化・信仰などがぎっしりと詰まった方言を撲滅してしまった(といっても根強く残っていますが)のは、なんとももったいない気がしますがあせる

 

この方言撲滅運動に最後までかたくなに抵抗したのが、秋田県人だったそうですビックリマーク

 

「おらだちのことばは、秋田特有のもんだ」と言って、いつまでも使い続けようとしたのです。

 

秋田県人は「我が道を行く」県民性なのですニコニコ

 

だから、秋田県知事に任命された武田千代三郎は、東京から秋田に赴任すると、県庁職員がなにを話しているのか全く分からなかったそう。

 

これでは、秋田の近代化が遅れる。

 

そう考えた武田は、自分が状況するたびに職員を同行させ、東京に着くとわざと別行動をとりました。

 

すると、言葉の通じない職員達は行く先々で大恥をかきました。

 

これを何度も繰り返すうちに、職員達は自発的に標準語を学び、やがて秋田県内にも標準語が浸透していったのです。

 

根が真面目な秋田県人は、なんでもその気になって努力すると実力を発揮するのです。!!