被災したたくさんの方々に、一同心より哀悼の念をお送りします。

こちらは今現在計画停電中。
南関東でも指先がとてもつめたく冷えているのに、東北の方々の寒さを思うといてもたってもいられません。
そして学生の私たちが直接行って救護することができないのも、本当に悔しい。

ですがありったけ私たちのできることを考え、ここから発信していきたいと思います。
明けましておめでとうという言葉、一月も終わりに近づいていまさら感が漂いますね。


しばらく更新がストップしていたこのブログ。
でもまだ終わっていないのですよ。

みんなテスト勉強に苦しんでいただけで、シンポジウムが終わったって地域医療への情熱は終わらないのだ!

過去に遡って体験記を書いたり、近況報告もしたりしようと思っています。


でね、報告書編集の他にも早速活動していたのですよ。

1月18日から20日の3日間、つじまり、ばばちゃん、あらいの3人で佐久へぶらりとお礼参りに行きました。

まず1月18日はつじまりとあらいの所属する部活の先輩である北岳診療部の先輩の開業なさっているペインクリニックへ実習に行きました。
ペインクリニックへ行って驚いたことはまずその回転の速さ。たくさんの患者さんに満足のいく医療を提供するためにはとても重要なことですが、数多くあるベッドを回転させるためには看護婦さんの手腕がものすごく問われるのです。
ちらと周りを見ただけで一瞬に判断し、先生の処置を予測し、先回りして準備する看護師さんを見て、「なんてすごいんだ!」と心の中でうなってしまいました。

たむらペインクリニック
http://tamura-pain.jp/


1月19日は大冒険の日。
朝から早起きして夏にお世話になった南相木村に住む倉根ちづさんのもとへ。
なぜ冒険かというと・・・最寄の小海駅からちづさんの自宅まで約8~10kmを歩いていったからなのです。
長野の冬は寒い。-10℃もざらという中、3人で並んで数時間てくてく歩いていきました。
道中、ちづさんと百人一首大会をするためにつじまりの用意したiphoneのアプリで百人一首を覚えながら歩く歩く。
車だと見えないものが、歩くとみえてくる。
南相木村に入るところで村長さんだったちづさんのご主人が生前に建てた「不戦の像」と「別れの松」に手を合わせてきました。
戦争の影響はこんな山奥の村にまで及ぶ。平和にのどかに暮らしていた村の人々までも犠牲にする。
3人が3人、それぞれ感じ入った瞬間でした。

ようやくちづさん宅へ。するとちづさんは心配してか私たちを近くのバス停まで迎えに来てくださっていました。(でもごめんねちづさん。私たち徒歩で来たんだよ。)
「ここのところ毎日機織りやっているけど、みんなが来るときいて今朝は手につかねえだ。」
なんてうれしいんだろ!一同少しうるうるしていた。きっと。
で、腹ペコの3人はちづさんのおもてなしでおでんやらお餅やらお漬物やらを大量にご馳走になって、おいしくて満腹で眠くなりながらも百人一首大会をして、南相木カルタなるものまで挑戦して、南相木の歴史をちづさんに教えてもらって、ちづさんとお別れしてバスに乗って小海まで帰ったのでした。

2人がちづさんに会うのは2回目、私はおととしから3回目。
会えば会うほど魅力的な方だな、と感じる。
91歳のちづさんはまだまだ元気!
このままずっとずっと元気でいてほしいなって、一同思いました。
また会いに来るね!

倉根ちづさん
http://miyabi3.blog.ocn.ne.jp/kitsutsuki/2008/07/post_8f9a.html
不戦の像
http://www.cpi-media.co.jp/ome-saito-kouji/kansou/01.htm

さて帰りのバスですが、なんと駅までたった15分。
30分くらいと期待していたつじまりががっかりしていました。
車って、すごい。
でも、「歩く」という視点って、もっと尊い。

そして小海にて、色平先生に再会!(ちづさんのところにも少しだけ顔を出してくださいました)
お久しぶりの先生ですが、やはりお忙しそう。
そして短い時間の中で、私たちにまたたくさんの知識やヒントを与えてくださいました。

そのあとは八峰の湯で温泉OFF。
つじまりと露天風呂で語り合って、意外な過去が明らかになったりして(本人に聞いてください)とても充実のひとときでした。
ばばちゃんはひとりでのんびりはいっていたんだろうか。

八峰の湯
http://www.yahho-onsen.jp/

そんなこんなで2日目も終了。

3日目の朝に2人は高速バスで帰って行きました。

2人を見送ってから、私は佐久市内をぶらりと観光。
お稲荷さんにいったり、展望台から佐久市全景を眺めたり。
佐久は星座の町で有名で、いたる通りに星座の名前がついているというロマン!
酒屋で地酒もばっちり購入して、お土産は万全。

午後に再び色平先生にお会いして、今までの総括をしていただきました。
集落のでき方、明治以降の村の変遷、もっと遡って縄文人と弥生人の生活様式の違いetc.etc....
先生はなぜいつもこんな風にあふれ出るような知識量があるのだろう。
エンドレスでずっと聴いていたくなるような貴重なお話たちでした。

あっという間の2泊3日。
あんまり楽しかったから、6人全員で行きたかったな。

とても勉強になって、いろいろなことを感じて、考えた3日間でした。


私たちの学びは終わらないのだ!
シンポジウム局、まだ最後のお仕事が残っているのです。
それは・・・報告書!(ばばーん)

報告書はシンポジウム当日の内容のほか、学生発表に書ききれなかった局員による実習や一人一人の視点、感想など盛りだくさんで、大変読み応えのある内容となっているのですよ。

テストもようやく終わり、ただいま編集作業中。


テスト前には杉山くんが怒涛の勢いで3時間以上ものシンポジウムの内容を文字起こししてくれました。
文字起こし、実は信じられないくらいしんどい作業です。たぶん数週間、ほとんど徹夜で書いてくれたんだと思います。そんな杉山くんは神を通り越した「ネ申」です。


私は今日はいちにち活動のまとめを書いていました。

シンポジウムを振り返ってみて、またいろんなことが思い起こされるのでした。
もやもやと記憶をたどると、いろんなシーンが頭をめぐって、また胸がいっぱいになるのでした。

そんなこんなで私たちの活動のベースであるhotmailの受信ボックスが再びワードの添付メールであふれ始めているのだ!


てなわけで、乞うご期待。


局長 あらい