運命の要諦はバランスにあり(かな?) | 開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ

運命の要諦はバランスにあり(かな?)

「宇宙は常にバランスをとろうとしている」

こういった意味のことを、高尾宗家がどこかに書いていらした記憶があります。

最初は、なんのこっちゃ?

と思っていましたが、最近この言葉の意味が朧げながら分かってきたような気がします。

それどころか、運命の鍵はこの「バランス」にあるのではないか、とさえ思っています。


バランス。


中国では昔から「中庸」を重んじています。

易でも、2爻、5爻が比較的良い言葉が多いのも、それぞれが内卦、外卦の中庸の場所にあるからです。


このバランス、ということを、一人の人生の中で考えてみると、ほとんどの人は、一生を通じて安泰な、あるいは楽しい人生を送れることはありません。

ほとんどの人が、ある時期、とても苦しんだり悩んだりします。

算命の言葉で言えば「守護神運」、あるいは「大運天中殺の陽転」などのように、この世の春を謳歌できるような時期は限られています。

その時期が若い時期に巡るのか、中年で巡るのか、あるいは晩年で巡るのかは、人によって違います。


運命のグラフを描いてみると、運勢は上がったり下がったりしているのではないでしょうか。

しかし、山の部分と谷の部分を足し引きしてみたら、どの人も、さほど大きな違いは無いのではないでしょうか。


これは一人の人間の一生という尺度で見た場合ですが、これを例えば家族、という単位で見てみるとどうでしょう。

今は子供の数も少ないので、あまりはっきりとは感じられない、または現象として出てこないかもしれませんが、昔のように子供が大勢いた時代では、けっこうはっきりと現象として現れていたような気がします。

貧乏人の子沢山、と言いましたが、昔は兄弟姉妹の数が多かった。

この兄弟、姉妹の間でもバランスがとられているように思うのです。


つまり、大勢兄弟姉妹がいると、その中に一人、どうしようもなくだらしないのが一人いる。定職にもつかず、ふらふらと遊んでいる。或は遊び人仲間に入ってグレてしまう。

こういう兄弟が一人出るかと思えば、中には飛び抜けて勉強が出来て出世するのがいる。

これも、その家族の中で見れば、一人が飛び抜けて出世する代わりに、一人がうだつの上がらない人生を送る。

これでバランスがとれる。


この実例は、私が実際に鑑定した方の中にもいらっしゃいましたし、私の友人の場合にもありました。


この考え方を敷衍すれば、水野南北の「食は運命を左右する」という考え方も、結局はバランスの問題なのではないかと考えているわけなのです。