犬山城は
小さな山城ですが
城壁の野面積みや城門までの
90度に曲がるつづら折りの上り坂など
きちんと計算されて築城されてます
築城したのは織田信長の叔父 信康
その後 池田恒興や秀吉も入城しています
実に487年もの年月を風雪に耐えよくぞ現代まで
残してくれていたものよと感動します
その当時のままの姿で現存しているなんて
すごくないですか?
日本最古の木造天守閣で国宝に指令されてます
全ブログで触れた成瀬家の
執念に近い奮闘があったからこそだと
改めて思うのです
もちろん城主の成瀬家だけでなく
地域の住民にも愛されたお城だからこそ
とも思います
最近本を読んで知った松山城もそうですね
賤ヶ岳七本槍のひとり 加藤嘉明が築城したのですが
瀬戸内海のあの場所で
長い年月人々に愛されて守られてきたのには理由があります
・・と
その話はまた次の機会・・
松山城に行った際に ←行くと決めた!
城門を通ってからお城までの道が前に来た時より整備されていて
歩きやすくなってました
お城の階段も新しく作り直されていて
登りやすかったです
(前は人の上り下りで磨かれたようになってて
ツルツルでした)
欄干の引くさよ
大人の腰よりも低いのに
安全のための措置はされてません
姫路城なんか 金網が付けられていて
視界が悪いわ見た目が悪いわで
ちょっと興ざめしましたから(スマホを落とす人があまりにも多すぎるから・・という理由ですが)
犬山城だって
スマホ落とすでしょ
入場するのに靴脱ぐから その袋とかみんな持ってるし
そしてね
この欄干の廊下
少し外側に傾斜してるんです
雨が溜まらないようにだと思うけど
歩きにくのよ
身体が斜めるw
木曽川と
正面の山頂には岐阜城
瓦の積み方が独特です
ここも手入れするんだろうなぁ・・
今日見つけたのは桃の形の鬼瓦
桃は魔除けだそうです
そうえいば
京都の清明神社にも桃のオブジェがありましたね
写真残ってましたw
どうしてお城が好きなのかって
要所要所に当時の人々の暮らしが垣間見えるから
そして建築物としての美しさ
石垣ひとつ
鬼瓦ひとつ
どれをとっても
築城した人の叡智が感じられる
地域の人に大切にされてきたのなら尚更
拝観料を払って 少しでも保管に役立てば
それが後世に残すための手助けになるんじゃないかな
もっともっと未来の人も
私と同じように
歴史に思いを馳せ
大切にされてきたことを
感慨深いと思うことができるんじゃないかな
久しぶりのお城でした~
神社の数より
お城の数の方が少ないですからねw