もし、悟った人がいるとしたら、


どんな人のことも受け入れ、認めることができる人だと思う。


他者の言動に対して、それは間違ってるなどと言うことは決してない。


なぜなら悟ってるので、なぜその人がその言動をとるのかが判るし、相手を否定することもない。


"私は正しく何でも判っていて、

あなたは全く判ってないし間違っている"


ということを誰かに証明する必要もない。


もし証明しようとするなら、それはエゴの仕業である。


悟ったとしてもエゴはあるかもしれない。


人間だもの。自我ありエゴありのまま。


それを見つめられるかどうか。気付けるかどうか。



悟りの定義も人によって様々。


私が思う悟りとは、道理・宇宙の真理を理解すること。

自我とエゴは同じという人もいるけれど(そういう定義付けのものもある)


自我=自分としての意識

エゴ=利己主義・エゴイスト


として表現。