ひとりひとりが救世主という言葉は、江原啓之さんの携帯サイトに登録していた時に、聞いた言葉です。


要するに、誰かに頼らず、自分で自分を救う…というようなことですよね。

(江原さんの場合は、そのための霊的真理を学んで実践、という考え方でしたね。)


イエスキリスト誕生時から、約2000年間続いた魚座の時代。スピリチュアルに関心がなくても、救世主やヒーローに憧れたり、頼ったりすることは、誰しも心のどこかに…無意識に、あるのではないかと思います。


救世主でなくても、例えばヒーローと称えられるような、または憧れの人。


やはり、あるべき姿像(理想の人間像)というものが、あるのかもしれません。


(というか、今の世の中の流れを見ると、そんな感じがします。それでなくとも、特にアメリカ映画はヒーローものが多いですよね。私は、あまり見ませんが

。汗)


これが、私たちの暮らしを変えるような、理想の社会を目指すために選ばれた人なら、

その人のことを神格化することも、あり得ますね。


そんな存在の人は、宗教やスピリチュアルリーダーなどにありがちですが、


今のこの時期は、やはり、この社会の仕組みを変えるような人々…政治家に目が行くことも、自然な流れですね。

山羊座冥王星時代の山羊座土星・木星期から、山羊座冥王星時代の水瓶座土星期の、そして水瓶座木星期。


社会や世界に関心を向け、そして、皆で変えて行こうとするための声を上げる。そんな風潮は、今まで私の人生で、初めて見たような気がします。

もちろん、一部の人達は声を上げて来たと思いますが、SNSが発達して、あらゆる人が見ている世界の中での意見の発信というのは、今だかつてなかったのではないでしょうか。こういうプラットフォーム自体が、昔はなかったですからね。


この社会は何だかんだで、ヒエラルキーで成り立っていますよね。ヒエラルキー自体は別に悪くないと思います。

会社だと、経営者と従業員。


その従業員の中でも、例えば、レストラン。ホール全体を見回して、指示を与えるマネージャーと、給仕に当たる人達。


全体の流れを読んで指示を与える人が10人もいて、給仕が1人だったら、ホールは回らず、指示もゴチャゴチャになりそうです。


指示を与える人が1人。給仕が10人のほうがいいですね。

(席が1つだけなら、逆でもOKかもしれませんが。笑)


やれること・やれないこと。適しているもの・適していないもの。(ホール担当は、経営のことまで知らなくても、いいわけです。また、大きなホールだと、全体を見回し、指示を出す人も必要かと思います。オーケストラの演奏者と指揮者のように。)


師匠と弟子。教える人が1人と、習う人は大勢。

(家庭教師が数人に、1人の教え子というのもありますが。)


経験を積んでいるからこそ、指示ができる。あまり知らないから、上の指示を仰ぐ、といったような上下の関係は、決して悪いものだけではありません。



ヒエラルキーの構図が、その組織と、その中のひとりひとりにとって、利益をもたらし、最適なものであれば、ヒエラルキー自体は、単なるシステムであり、決して悪い形ではないですね。


問題は、一部の人…上の階にとって都合がよく、下に行くほど、苦しい状態を強いられる場合です。決定権が上にあれば、上に都合のいいように動かす。決定権のある側の都合のいいようにさせられる、ということですね。

(もちろん、本当の意味でワンネスに気づけば、形はピラミッド型であっても、それは、あくまでも役割・担当部署であって、実質的には上下はなく、あくまでも全体的と個々、それぞれにとってよい形で動く方向に行くのだと思います。というか、それは可能だと思います。)



そこで、その構図を壊すべく、働くのが水瓶座なのですが、


その開拓者や先導するリーダーを持ち上げ、その開拓者やリーダーを上においた場合、結局、新たなヒエラルキーが誕生するだけ…ということも、ある訳ですよね。


そうやって、支配する人達が何度も交替して来た。


光と闇の役割を代わる代わる交替しながら。


そこに、気がつかないと、環境が変わっても同じじゃないでしょうか。


だから、その前に、私たちは何者なのか、思い出す。


本当の意味で、ひとりひとりの力を取り戻す。


目覚めることが先だと思われます。


とは言え、その目覚めの定義も、人によって異なりますね…。


私が、思う目覚めとは、


この現実を創っている大元を知ることだと思っています。


もちろん、今ある世界の在り方や構造も、しっかりと知った上で。


目覚めを唱えるスピリチュアルティーチャーは、この物質的現実を無視してしまう傾向もあり、人として、ある意味、無理難題なことを言ってくる場合もあります。

また、現実のこの世界の構造を知っていても、見えないエネルギーや次元のことを知らなければ、変えようがない・絶望的になってしまったり、

なぜ、そんな現象が顕れるのかも、判らず、無理に変えようとして、そこでまた無理が生じてしまったり…と、同じことの繰り返しをしていたり。


だから、見えない次元と現実の構造、両方を見て知ることが必要かと思います。


水瓶座は、仲間も表すけれど、それは自立した者同士の繋がり。誰かに付き従うということはないけれど、同じ考え方の者たちとの繋がりは、ありますね。

心ではなく、志(同じ方向性・目的)で繋がる、というような。一人では無理でも、仲間となら達成できるものもあるでしょう。それだけ、多くの人々の力を必要とするようなもの…個人的はなものではなく、もっと大きな規模の改革。(要するに、今までの社会のシステムの見直しですね。)


そうやって、今あるこの行き詰まった世界を変える。

より、それぞれ(個々)が自然に、自由に生きられるように。


それには、やはり、(ひとりひとりが)自分自身が目覚める必要がありますね。


(それは、この世界に疑いを持つことから、始まるかもしれません。世の中、辻褄の合わないことは、多くあります。知らぬ間に課してきた制限というのもあるかと思います。


思い込んできた、思い込まされて来たことに気づくには、当然だと思って来たものを一度疑ってみるのも、いいかもしれません。


それは果たして必要なのか?と。


そして、当然のこととして言われて来たそれは、本当にそうなのか?と。


そうして疑問を持つことで、別の可能性が見えてくるかもしれません。


そういったことに答えてくれる人は、いるかもしれません。けれど、その人について行き、その人の言うことを絶対視するようなことがあれば、また同じことの繰り返しになってしまいますね。

あくまでも、参考にするのはいいと思いますが。


情報に振り回されることなく、柔軟に取り入れつつ、自分で選ぶ・考える・調べることも必要ですね。


もちろん、自分とは何かといった追究や、自分が本当に望んでいること…自我やエゴのではなく…は何かを知ることも、目覚めには必要かと思います。)