西遊記 | 三論宗 護顕院法永{陳 志摩}  日本再興後援会オフィシャルブログ 

三論宗 護顕院法永{陳 志摩}  日本再興後援会オフィシャルブログ 

{三論宗}飛鳥時代に渡来した最初の仏教。そして聖徳大師が指示し、憲法17条を制定した。波乱万丈の十代を経た後、自ら宗教の道に身を投じ日本列島八往復半、十六年間に渡るすざましい修行の末に大師がたどり付いた「己の使命」その「想い」護顕羅摩法、唯一の伝承大師。

説法3


三蔵法師の話 

  「西遊記」のテレビやゴダイゴの歌う「ガンダーラ」は、
 知らない人は
いない程、有名なドラマと歌です。
 

皆さんは知っていますか? 
三蔵法師=吉祥大師吉蔵
(549~623)である事を・・・?


大乗仏教では、
龍樹・堤婆・鳩摩羅什の体系化した
中論・十二門論・
百論を合わせて三論です。

 
 この難しい道理を、
判り易く注釈を加え中国全土に教え広めた方が、
吉蔵大和尚です。

彼がまとめた注釈本を、
発祥国インドに証認してもら
う為、
遥々シルクロードを辿り一人天竺に向ったのです。

 
  物語では、孫悟空・猪八戒・沙悟浄・白馬と一緒に、
多くの悪党や
妖怪と戦いながら天竺に法典を頂に行きます。

実際は、法師お一人で行脚
されました。


  孫悟空・猪八戒・沙悟浄は、
仏から使わされた観音様や菩薩様だった
そうです。

 また、
悪党や妖怪とは厳しい戒律と世俗との違いから感じる
法師
自らの葛藤を描いたそうです。

 そして、インドに無事到着し、尊い新しい
経典を頂いて、
故郷に持ち帰られたそうです。

バンセ法要大会 1

バンセ法要大会 2

説法1



<三論宗の登場僧宝と日本国三論宗の功績>

 1.龍樹大菩薩の紹介(AD150~250)

  南インド出身の学僧。中観派の開祖で、中国・日本における

  八宗の祖師。

  大乗仏教の中心思想である「空」を般若空観に基づき哲学的

  に理論づけた。
竜猛とも。サンスクリット名は、ナーガールジュナ。

  著作/ 中論、空七十論、廻穣(えじょう)、大智度論など。

  「空」  仏教の基本思想。あらゆる存在が実態を有しないこと

       をいい、
 取り分け大乗仏教全般の共通の基礎をなす。

       原始仏教は、修行者の
煩悩を滅するために無我・無常

       を説き、空観の実践を強調した。

       その後、部派仏教の一部では、様々な存在の構成要素

       を想定する
見方が強まったが、やがて大乗仏教の龍樹

       は、中論などであらゆる

       存在は縁起によって生じ、実体は無いとする「空」の理論

       を確立。

 2.堤婆大菩薩の紹介(AD180~280)

  釈迦の弟子の一人。釈迦の従兄弟に当たると言われ、多聞第

  一で有名
な阿難の兄とする説が一般的である。三論の中の

 十二門論を記したと
される。彼は、釈迦に「五事の戒律」を提唱

 するが、この厳しい戒律
を善しとされぬ釈迦に反逆し、新たな

 教団を作ったとされている。

  また、三逆罪を侵すなど、破天荒な信仰生活をおくっている。

  サンスクリット名は、デーヴァダッタ。

 3.鳩摩羅什大菩薩の紹介(AD344~413)

  西域の亀滋国(クチャ)出身の学僧。般若・法華・維摩・三論

  ・成実論
などの大乗諸経論35部294巻を訳す。
   
   サンスクリット名は、クマーラジーバ。
  
  7歳で出家し主に、大乗の龍樹系中観派仏教を学ぶ。401

  年より10年
 に渡り、長安で訳経に専念。弟子の僧肇らに

  より三論宗や成実宗興起の基礎が確立。

  大乗仏教の中国仏教化の過程で最も早い時期に決定的な

  役割を果たした
のは先に述べた2世紀後半からの漢訳仏典

  の翻訳に比類なき業績を残
した鳩摩羅什大菩薩である。

  彼が、いなかったならば、大乗仏教の中国仏経
化は、果たして

  成り立ったかどうか。少なくとも2世紀~3世紀は、
遅れること

  になったであろう。・・・中略・・・

   
   鳩摩羅什大菩薩は、小乗仏教の戒律の厳しさだけでは世の

   人々の苦悩を救済す
ることは不可能だと悟り、前に述べた

   ような「煩悩即菩薩」の「中」
と「空」の論理に立って現世肯定

   的に人々を救済しようとする大乗
仏教に急速に心が傾いて

   行った。取り分け、彼が影響を受けたのは
1世紀程前に世を

   去った大乗仏教の大成者、龍樹の「論」釈であった。

  
   

   「中論」  中論とは、龍樹大菩薩の著作であり、般若経

          に説かれた。

         「空の思想」
 を体系付けたものである。

         龍樹の基本的な思想がここに見ら
れる。

         主として小乗仏教の囚われの観念を打破して、

         八不中道
の正見を顕そうとしたもので、500の

         頌偈から出来上がって
いる。インドでは様々な

         学系によって、この中論には、青目、
安慧、清弁

         月称などの注釈書が残っている。

         漢訳された中論は、この内の青目の注釈と共に

         4巻本として
後述の鳩摩羅什大菩薩によって翻

         訳された。

   「十二門論」  十二門論とは、龍樹大菩薩が空の思想を

         12の門に分けて述べた
ものであり、中論の喝が

         多く引かれているので中論の入門書
としてつくら

         れたものであろうと考えられている。

         なお、龍樹大菩薩
 には、大品般若経を注釈した

         大智度論があり、これらの三論と
 同じ「空」を説い

         ているが、特定の経典を注釈した論書(別申
論)で

         あるから、これを所依の論書とはせず、全仏教を貫

         く
道理を述べた通申論である三論を三論宗の正依

         の論とする。

   「百論」 百論は、龍樹大菩薩の弟子である堤婆大菩薩の

         著作である。

         堤婆大菩薩は、仏教
以外の系統や部派仏教の

         学説を盛んに論破した人である。

         事に、百論は仏教以外のいわゆる外道の学説

         を破斥した100の
偈によって出来ている。ただし、

         漢訳では前半の50偈しか伝わっていない。

         漢訳の百論は、婆藪開師の注釈とともに4巻

         として鳩摩羅什大菩薩
により翻訳された。


 4.吉祥大師吉蔵(549~623)吉祥大師の父は、中央アジアの人

       である。幼少の時に父に従って中国に来て、法朗大師

       に師事して三論を学んだ。

       この吉祥は、三論宗では、最も優れた人で古今に卓抜

       し、その意義と徳望は象の王様のような威力を示し

       智慧の働きは明晰で日月の光を奪うようであった。

       著書を書くこと多く、大部の典籍を残した。三論と「法華経」

       を心のよりどころとし、大乗も小乗も全ての教えの究極を

       極めた。三論宗がはなはだ盛んになったのは、この吉祥に

       よるものである。歴代の祖師の中で、特に大祖と称した。

       その経論の解釈は、道理をつくし、これに加えるものは

       何もなかった。ついに三論宗を高麗の慧灌僧正に授けた。

       慧灌僧正は、日本に来て広くこの宗を伝えた。

               釈迦の教理は唯一理の顕揚で、二諦八不の理を思想と

       し、破邪即顕正、すなわち諸宗の偏執を取り除き中道の

       理を顕すことを本旨とした。日本への伝来は、吉蔵の

       弟子である高麗僧恵灌に始まる。

        推古天皇33年に三論を伝えた。

 5.恵滋   生没年不詳。高句麗の僧。推古天皇3年(595)5月

       丁卯、我が国に帰化し同年来朝した百済の僧恵聡と

       共に仏教を広めて三宝の棟梁と称せられた。

       聖徳太子は、これを師として経論を学んだが

       「三国仏法伝通縁起」によると恵滋は三論宗の

       学僧で、成実宗にも通じていたという。

       翌4年1月、法興寺(飛鳥寺)が竣工すると蘇我善徳

       が寺司となり、恵滋、恵聡の二僧もこれに住した。

       同23年帰国。

 6.恵聡   「三国仏法伝通縁起」中、成実宗には三論宗の

       学匠で成実宗にも通じ、恵滋、観勒とともに聖徳

       太子の仏法の師と成ったとある。


 7.恵灌   生没年不詳。高句麗の僧侶。隋に渡り吉祥大師

       吉蔵に就いて三論を学び、推古天皇33年(625)

       正月、高句麗王に貢上されて来朝し勅によって

       元興寺に住した。その年の夏、旱魃により詔して

       雨を祈らせた時、恵灌は青衣を著けて三論を講じ

       たら直ちに大雨が有ったので、天皇は大いに悦んで

       僧正に任じたという。

       一説に恵灌が三論を講じたのは、孝徳天皇の代で

       講説の竟わった日に僧正に任じられたが、これが

       日本の僧正第二であるともいう。

       のち河内国に井上寺を建てて三論宗を広め、

       90歳近くで寂したとも伝えられているが、我が国の

       三論宗は、恵灌をもって第一伝としている。

 8.奈良大安寺 奈良市大安寺町にある高野山真言宗寺院。

               南都七大寺の一 つ。

       聖徳太子建立の熊凝精舎に始まるとされる。百済大

       寺、高市大寺、大官大寺と改称され、平安京遷都後、

       現在地へ移り現寺号となる。

       以降南大寺とも呼ばれ三論宗の拠点として繁栄。

       9世紀始め空海が別当となり真言宗寺院としたが、

       鎌倉時代境に衰退。


 9.法隆寺  法隆寺は、聖徳太子ゆかりの寺院であり、

       世界最古の木造建築物群である。

       1933年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。

       別名・斑鳩寺とも呼ばれている。

       推古天皇9年(601年)聖徳太子は斑鳩の地に

       斑鳩宮を建て、この近くに建てられたのが法隆寺

       であるとされる。金堂の「東の間」に安置される

       薬師如来坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が、

       自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、

       用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ

       推古天皇と聖徳太子が改めて推古天皇15年

       (607年)像と寺を完成した」という旨の記述がある。

説法4

バンセ法要大会 前編

バンセ法要大会 後編