「お久し振りです❣️」
今世での出逢いは、魂の再会です🍀
前回は弟が手配してくれた病院まで
連れてってくれた事をお話し
しましたけれど。
今回からは、いよいよ
本格的に精神病院に入院するトコ
から、お話しします🍀
私、御菩薩池(みぞろげ)さんは
今となっては、入院時の最初の頃の
記憶は、非常に曖昧なのですが。
弟の車で病院に到着して
車椅子に乗せられて、病院に入った
事だけは、はっきりと覚えています
(あぁ~、車椅子って
こんなに楽なんだ~🎵)
と🍀☺️🍀
そうして
車椅子のまま、男性精神科医師に
診察を受けているシーンも、良く
覚えています。
ただ。
そこから、まったく覚えてなくて
気がついたら
病院のベッドの上でした
その時の安心感を言葉で形容する
事は、ちょっと難しいです(苦笑)
だって、点滴が終わったら
すぐ帰れとは言われないのです🍀
だって、動かない体を
トイレに連れてってくれて
用を足させてくれるのです🍀
だって、だって
家族のいる弟に“私の世話”なんて
大迷惑を掛けずに済むのです🍀
それだけでも
私にとっては、かなりの
安心材料でした🍀☺️🍀
人間の“三大欲求”よりも
“用を足す事”が重要なんて
自分に超ウケるんですケド~
実際によくよく思い返してみれば
食欲や喉の渇きを覚えるよりも
用を足せる事がむっちゃ重要でした
管が入った事を知り
めっちゃ安心するのは、もうちょい
後の話になります🍀
タイトルにも入れましたけれど
私の母親は精神病院に入退院を
繰り返していました。
今でこそ“心療内科”や
“こころの心療科”などの病院の科が
一般的になってまいりましたけれど。
母の様子が最初におかしくなった
のは、○十年も前の話で
“精神病”という病も全く一般的では
なく、そもそも“精神病院”もかなり
ダーティーなイメージがまかり通っていた時代でした(苦笑)
そして実は母親の兄弟姉妹が既に精神的な病を患い、精神病院に受診し入院していた経験がありまして。
どんどん様子がおかしくなっていく母親を、彼女の夫である父親は比較的冷静に受け止めていたように思います。
母親の初入院の際には、母方の親戚がわざわざ自宅を訪れてくれて、私を励ましてくれて。
両親の両祖母は私の家の家事をしに
来てくれました
そして、まだ小さかった私は
更に幼い弟の心を守りたくて
色々がんばった👊😆🎵事も
良く覚えております。
そんな可愛いらしかった弟に
母親と同じ精神病院に叩き込まれる
羽目に陥るとは・・・
何の因果なんでしょーね・・・
なァ~んつって
別に、私は誰も恨んでません☺️
弟は言わずもがなです🍀☺️🍀
だって弟は、私の入院先を
彼の独断と偏見で選んだ訳では
決してありませんから
私にも選択の余地を残してくれた
のですから
ただ、いかんせん、その時の私の
思考力がめちゃめちゃ低下してた
為に、弟に任せてしまったのです
あれは、ハッキリと意識を取り戻して、何日目の事だったのか・・・
精神病院病棟の病室の天井を見上げて
(あァ・・・遂に、
精神病院に入院しちゃったか・・・)
と、しみじみした事をよく覚えてます
その「しみじみ」の内訳(❓)は
また次回にお話しさせて頂きたい
と思います🍀😌🍀
最後まで読んで頂きまして
ありがとうございました🍀
あなたとの、御縁に感謝致します🍀
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