最近、(軽く扱われることが増えたな)と感じる瞬間があった。
メッセージをスルーされる、気遣いを当然のものとして無碍にされる、など他にも細かなものを含めれば幾つもあって、そういうリアクションを分析して見た時に(なんか、軽く扱われてるな)と感じた。
でもこういった扱いが今になって増えたというよりも実際は、
【軽く扱われてる自分を認知できるようになった】ということなのかも。
以前ならどんな時でも、(私に何か悪いところがあって、相手はそこに嫌悪感や不審があって態度を悪くしてるんだ)と考えてしまっていたのだと思う。
でも今は同じような場面でも、まず自分に落ち度があるかないかを考えて、
その上で相手の態度を見て判断するようになった。
そうすると自分の問題というよりも相手の価値観や認識の問題であるパターンもあって、その判断の上で
『単純に私を軽く考えている・軽く扱っているんだな』と認識できるようになった。
私自身は接する・関わる以上は誠実に、そう出来ないと感じる相手ならはじめから私的には関わらないという考えだけれど、それはあくまで私の考え方であって、他人は他人の価値観や考え方を持ってる。
『ちょっと仲良くしてみてダメだったら切ろう』って考える人も少なくないようだし、それも価値観の一つだから。
つまり、最近になって“急に私という存在が軽く扱われる場面が増えた”わけではなく、以前からも軽く扱われることは多々あったけれど認知できず、【何でもかんでも自分に原因があると思い込んでしまっていた】だけ。
今は思考のスタート地点が変わり、健全な判断が下せるようになったことで『自分が軽く扱われている現実』を“認知できる”場面が増えただけなんだろうな。
相手が軽く見れば私も同じ軽さで相手を見る。
私が重たい目線で相手を見れば、向こうも私のことを重く見て、その上で(同じように対応しよう)とか(この人重たいな、面倒くさい)など、以後どうするかを考える・判断する。
それだけのこと。
これまでの私はいつだって、天秤にかけた際の傾きが私の皿だけガクンっと下がっていてもそれに何の異常も不具合も覚えなかった。それが当たり前の光景だと感じていた。
傾きや偏りを認知しなければ、そこには重さや軽さも存在せず、全てが対等な状態で発生した問題だと考えてしまう。
まさか自分を軽く見られることで気持ちが軽くなるだなんて、そんな場面が存在するだなんて知らなかった。夢にも思わなかった。
今は少しだけ荷物を減らせたような、そんな気がする。