時は遡る事4年前、2014年4月.........

メキシコのメジャールチャ・リブレ団体
(ルチャ・リブレ=スペイン語、日本でいうプロレス)
CMLL (Consejo del Mundo Lucha Libre=コンセホ・デルムンド・ルチャ・リブレ)
(意味的には ルチャ・リブレ評議会だったかな?)

に、リンピオ(善玉=ベビーフェイスの意) ルチャドールとして活躍していた

・ルーシュ (スペイン語で猛威の意)
・ラ・ソンブラ(スペイン語で影の意)
・ラ・マスカラ(スペイン語でマスクの意)

の3名が 以下の理由で前身の Los Indeseables(ロス・インデセアブレス=望ましくない奴ら)を結成した事から始まる。 

2009年よりCMLLに所属し、リンピオという立場で活動し続けていたルーシュだが、試合中に時折ルードのような振る舞いを観衆に見せつけ、ブーイングを浴びせられることがあった。2013年半ばに入ると、その傾向はさらに悪化していき、ルーシュは「CMLLで最も嫌われているレスラー」と称されるようになる。

一方、ラ・ソンブラもテクニコとして活動していたが、ライバル関係にあったボラドール・ジュニアがルードからフェイスターンしたことから、ラ・ソンブラにもブーイングが集中し始めるようになった。そして2014年4月25日、ラ・ソンブラはルーシュとそのパートナーラ・マスカラと共にボラドールを襲撃。三人で新たなるユニット「ロス・インデセアブレスLos Indeseables)」結成して10月9日にユニット名を「ロス・インゴベルナブレスLos Ingobernables)」に改称。


(Wikipediaより抜粋)


のちに加入する事になる、内藤哲也(新日本プロレス)が言う 「ベビーフェイスでも、ヒールでもない。俺はLOS INGOBERNABLES」というのはロス・インゴベルナブレスLos Ingobernables)は、テクニコリンピオ(善玉)、ルード(悪玉)という概念がなく、どちらにも属さないニュートラルな立場のユニットであることをルーシュが掲げている事から来ている。


歴史


上記の理由から

2014年

  • 4月25日、ラ・ソンブラ、ルーシュ、ラ・マスカラが「ロス・インデセアブレスLos Indeseables)」を結成。
  • 同年10月、ユニット名を現在の「ロス・インゴベルナブレスLos Ingobernables)に改称。
  • 2015年

    • 5月27日、TVの公開収録中にラ・ソンブラから勧誘を受け、内藤哲也(新日本プロレス)が加入。(後に内藤は新日本内にてユニットの差別化を図るべくロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンLos Ingobernables de Japon)を結成)
    • 6月22日(くしくもこの日は、内藤哲也の誕生日である) 約1か月の遠征を終えた内藤が帰国。LOS INGOBERNABLESをメキシコより持ち帰り 1人で LOS INGOBERNABLESとしての活動を始める。
  • 11月19日、ラ・ソンブラがWWEと契約を交わし、CMLLを退団。同時にユニットから離脱した。
  • 11月22日 LOS INGOBERNABLES de JAPON発足。結成当初のオリジナルメンバーは内藤哲也EVILBUSHI。後に、SANADA、髙橋ヒロムが加入

    2016年

    • 3月25日、アレナ・メヒコ大会にてピエロー、ルーシュ、ラ・マスカラ vs カリスティコブラソ・デ・プラタ、マルコ・コルレオーネの試合前にラ・マスカラから渡されたTシャツに袖を通したピエロー(ルーシュの父、現在 Bestia Del Ringの名前で活躍中)が正式に加入。
    • 5月13日、ルーシュとラ・マスカラが仲間割れを起こし、ラ・マスカラが追放。
    • 9月2日、アニベルサリオ83にて、ドラゴン・リー vs ラ・マスカラのマスカラ・コントラ・マスカラ戦が行われ、ラ・マスカラが敗戦しマスクを脱いだ。また、この試合でリーのセコンドに付いていたルーシュが試合後リングに上がり、健闘を讃えてラ・マスカラと和解。ラ・マスカラが再加入を果たした。

    • 11月18日、新日本プロレス後楽園大会にて内藤哲也のパートナーXとしてルーシュが電撃参戦した。

    2017年

    • 5月19日、ラ・マスカラが不祥事をおこし、5月22日にCMLLから解雇。ユニットから離脱する。
    • 2018年

      • 2月24日 エル・テリブレ加入。ルーシュ・ピエロー・テリブレの3人体制となる。