ぼくの音楽知識は、連れ合いの物理知識と同程度である。互いに相手の無知さかげんにいつもあきれ果てている。それでも、ぼくはクラシックが好きである。正確にいうなら、クラシックの面白さがようやく分かってきたというべきだろうか。ぼく流に言えば、クラシックは人生の喜怒哀楽を芸術の域に高めたものである。喜怒哀楽を赤裸々に綴った日記は、あまり面白いものではない。芸術というフィルターを通してこそ、読むに堪える(聴くに堪える)作品が出来上がる。逆に喜怒哀楽を表現しない(出来ない)音楽は、芸術の仮面を被っていても、退屈である。いくら楽譜を正確無比に奏でても、音が響かなかったり、感情が伝わらなければ、その演奏はつまらない。クラシックの演奏会が往々にして退屈なのは、そういう理由もあるのではなかろうか。素人の勝手な思いこみでお許し頂きたいが、ショパン・コンクールやチャイコフスキー・コンクールに優勝したような弾き手でも、そう感じることがある。ツィマーマンのような弾き手はそうざらにいるものではない(何年か前の大阪での公演には少々がっかりしたのだが、昨年のサントリーホールの演奏は、テレビで観ただけだがさすがに素晴らしかった。前にけなしてしまったので、ここで持ち上げておこう(笑))。
で結局、書きたいことは、5月19日、20日とはしごで聴いたピアノ・リサイタルは、そんなクラシック事情の中で出色だったということだ。19日「多賀みずほ」は連れ合いのリサイタルだから、まぁよいしょです。ははは。20日の河内長野での田尻洋一「ザ・ベートーヴェン」は、圧巻であった。「悲愴」「月光」「熱情」そして「運命」。1000人のホールをマイクもなく2階席の端まで響きわたらせる。それも、明晰に、感情たっぷりに。スタインウェイ・アーティストの称号がまさに相応しい。こんな凄いものが世の中にあったのだ。
田尻洋一といえば、3月31日に「芦悠館リサイタル」というのがあった。これは大ホールとは対照的に、聴衆40人のプライヴェート・サロン。曲はショパン、シャプリエ、モシュコフスキー、グリーグ、フォーレ、サンサーンス。百年前の宮廷サロンにタイムスリップしたかのようなロマンティックなひとときであった。小ぶりなスタインウェイも、さぞ嬉しかったことであろう。あのときぼくの頭に浮かんだのは「伝説」という言葉だった。