『君、あたらしい時代は、たしかに来ている。

それは羽衣のように軽くて、
しかも白砂の上を浅くさらさら走り流れる
小川のように清冽なものだ。

芭蕉がその晩年に「かるみ」というものを称えて、
それを「わび」「さび」「しおり」などの
はるか上位に置いたとか、
中学校の福田和尚先生から教わったが、

芭蕉ほどの名人がその晩年に於いてやっと予感し、
憧憬したその最上位の心境に僕たちが、
いつのまにやら自然に到達しているとは、
誇らじと欲するも能わずというところだ。

この「かるみ」は、断じて軽薄と違うのである。

慾と命を捨てなければ、この心境はわからない。

くるしく努力して
汗を出し切った後に来る一陣のその風だ。

世界の大混乱の末
の窮迫の空気から生れ出た、
翼のすきとおるほどの身軽な鳥
だ。これがわからぬ人は、
永遠に歴史の流れから除外され、
取残されてしまうだろう。

ああ、あれも、これも、どんどん古くなって行く。
君、理窟も何も無いのだ。

すべてを失い、
すべてを捨てた者の平安こそ、その「かるみ」だ。』
(「パンドラの匣」新潮文庫より)


敗戦直後の混乱期において、
希望も容易には見えてこない、
そして、
主人公のひばりは結核を患っている中であるからこそ、
このような、
悟りの境地に達したかのような言葉が出てくるのでしょう。

 この「かるみ」の境地は、
死を覚悟した人間だからこそ、到達できるのでしょう。


あらゆる苦難を受け入れた上で、
それでも身軽に、
明るく生きていく覚悟が出来るというのは、
まさに、欲と命を捨て、
努力をして汗を出し切ったからこその境地なのでしょう。

きっとこのような覚悟、
境地に達した人が多く日本人にいたからこそ、
日本の戦後の復興があったと思うと、
頭を垂れるしかない思いです。

パンドラの匣改版 [ 太宰治 ]


"身軽"に、
明るく生きていく覚悟、
キメました!!!


(*´Д`*)