おはようございます~(^^)/
今、人類の集合意識が大きく揺さぶりを受けています。それは、「私とは何者か」という問いかけです。
その問いかけは、深層意識の奥深い所から、ふとした感覚として、何気ない感覚として起きています。
ところが、私たちは学校教育の中で、他者との比較・競争の中で、「無価値感」を植え付けられました。
私たちは、この宇宙で唯一無二の存在です。それを無能勝明王と呼びます。
無能勝明王とは、上の『釈迦成道曼荼羅』の右下に描かれている明王で、お釈迦さまの変化身です。
お釈迦さまが悟りを開く直前に現れた、「無価値感」「罪悪感」という悪魔を、この明王が降しました。
そして、この宇宙で唯一無二なる存在は、主体と客体が”一如”ですから、罪を見ることがありません。
自分と他者が相対しているという思考が、夢であり物語(ストーリー)です。
お釈迦さまが体験した真理の世界は、私たちの”いのち”が一つに融合し、境界がない世界でした。
それは、一人一人の肉体に、自我(エゴ)が宿っていないという、”諸法無我”という教えとなります。
そして、個人個人と思っている存在が、常に変化しているという、”諸行無常”という教えとなります。
私たちの”いのち”が一つに融合している法界こそが、”涅槃寂静”です。
その悟りの妨げになる「無価値感」「罪悪感」という感情(悪魔)を降すのが、無能勝明王なのです。
無能勝明王は、私たちは、何もしなくても”涅槃寂静”であり、すでに”仏陀”であることを示します。
ということは、誰も特別な存在ではありません。そういう意味で、「特別感」「優越感」もありません。
そして、あるがままの”いのち”とは、大空のような無執着の境地です。
無能勝明王の真言(マントラ)は、『オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ』(薬師如来)です。
無能勝明王の真言と、薬師如来の真言が同一なのは、その波動が同じであることを示しています。
「無価値感」「罪悪感」から解放されるということは、”許し”であり、”癒し”であるからなのでしょう。