こんにちは~(^^)/
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
上図は、密教の「胎蔵界曼荼羅」呼ばれるもので、ここに宇宙のすべてがあります。
私たちは、肉体をまとって生きていますが、これは「諸行無常」で、仮の存在です。
私たちは肉体で分離されていません。したがって個人もいません。
もちろん私もいません。あなたもいません。では、何が存在するのか。全体です。
全体って言うと何か漠然としていますが、密教では「曼荼羅」で表現しています。
この曼陀羅に、私たちも含まれています。私たちとは、”群衆”(ガネーシャ)です。
ガネーシャはインドの神ですが、密教では歓喜天と呼ばれます。
ガネーシャが私たちというのは、「自分が何者か忘れた」状態の意識のことです。
これは密教の阿闍梨の口伝ですが、ガネーシャの本体は”自我(エゴ)”なのです。
ですから、密教で阿闍梨が歓喜天として拝むときは、必ず[調伏法]を修法します。
”自我(エゴ)”を調伏し、全体である大日如来に復帰させます。
それは祈願する人も同時に、大日如来(金剛薩埵)に復帰することを意味します。
私たちである”群衆”(ガネーシャ)が、世間を離れて宇宙意識に目覚めるのです。
具体的には、軍茶利(クンダリ)明王の印と真言で加持します。これは秘伝です。
すると「私が私が」と苦しんでいた意識が、自由になります。
結局、人生の苦しみの正体は、「私がいる」という”自我(エゴ)”だったのです。
そこから、権力・比較・競争が生まれ、やがて地球全体が地獄化してゆきます。
一方で、この宇宙は「胎蔵界曼荼羅」であるので、根本的には救われています。
