やっと修理した時計の話 | はっせんのブログ

はっせんのブログ

特にテーマもなく、
承認欲求も自己顕示欲もなく、
集客、アフィリエイトも興味ないし、
まあ日記か、独り言みたいなものかな、
書くより、タイプ打つ方が楽だし・・・







20年程前、友人から貰った時計。

あれは、アメリカの同時多発テロが起きた年、
仕事中に僕の手から滑り落ちた時計は、大理石の床に叩き付けられた。
幸いガラスは割れなかったが、ムーブメントが壊れてしまった。
修理に出そうと思いながらも、つい々後回しにして、机の引き出しにしまったままにしていた。
その2年後彼は他界した。浴室で倒れ、頭を打ったのが死因だと聞いた。
そうしてその時計は彼の形見となってしまった。

時が傷を癒すと人は言う。時が悲しみを忘れさせてくれると人は言う。
確かにそうかも知れないと思う。
だが、時が経つほどに強くなる思いもある。
彼は僕にとって無二の友であり、今もそれは変わらない。
勿論彼の葬儀には行ったが、未だに実感がわかない。
ただ遠くへ行ってしまっただけのように思える。
多分誰しもそんなものだろう。
たまにはひょっこり会いに来てくれないかと思う。
積もる話もある。

先日ふいに思い立ち、しまっていた時計を修理に出した。
修理を終えた時計は昨日僕の手元に戻り、今また時を刻み始めた。
だからと言って彼が帰って来ることは無いかも知れないが、
少しだけ近くに感じる気がする。




P.S.
修理してくれた時計屋さんに感謝を。
2016/02/22