●現実社会でのコトダマ

 

言葉を口に出し現象化するコトアゲにつきましてお話しましたが、

 

何か人が不謹慎と思える事を口にした際に、

 

その結果、良くない事になったとしたら、

 

「お前があんなことを言ったから、こうなったんだ」というやり取りがあったとします。

 

「口に出して言った事」と「起こったこと」の間に、因果関係を認めています。

 

何かを言えばそれに対して「現象」が起きる。

 

言ったことと起こったことがシンクロする。

 

無意識化でもそう信じているからこそ「この非難の言葉」が出てくるのではないでしょうか。

 

昔から「縁起でもないことを言うな」とよく言われます。

 

特に事故や病気、死など人が不幸になる事において。

 

それはその人が言葉にして口に出すことで「コトアゲ」をしてしまうからです。

 

日常生活において「コトタマ」や「コトアゲ」という言葉を意識しなくとも、

 

親からや学校で習わなくとも、日本人として生まれた以上、

 

コトタマが人生の根底にあり、支配されているとも言えるのです。

 

アメリカではアメリカンジョーク、ブラックジョークとして、

 

仮に人に対して不幸・不謹慎とも思える内容の言葉を発言してもジョークとして受け入れられる文化があります。

 

ここで一つ例を挙げます。

 

数年前にアメリカのアカデミー賞で、司会のコメディアンがブラックジョークを発言しました。

 

ノミネートしていたウィルスミスとその隣にいた奥さんに向かって、

 

GIジェーンという映画の次回作の主演を促したのです。

 

ここで観客は笑って受け入れたのですが、

 

夫であるウィルスミスは壇上に上がり司会者を平手打ちして罵声を浴びせたのでした。

 

なぜかと言うと、奥さんは数年前から病気で髪が抜けてしまう脱毛症を患い、

 

スキンヘッドであることを悩み苦しんでいたからなのです。

 

そしてGIジェーンとはスキンヘッドの女性の兵士を描いた作品だったのです。

 

日本人からすると公の場どころかプライベートや二人きりの場でも、

 

容姿のことを茶化したり軽はずみにそのままストレートに何かを伝えることは「空気を読み」あまりしませんが、

 

アメリカや諸外国ではハッキリと口に出す習慣や文化があります。

 

このケースでは、その司会者のブラックジョークは観客や運営側に容認され、

 

言葉の暴力を振るった司会者は非難されませんでした。

 

そして妻を侮辱した相手を夫として守るために、

 

暴力を振るったウィルスミスだけが非難され責任を負わされたのでした。(アカデミー賞にも10年間出入り禁止など)

 

この出来事で諸外国の反応と日本人の反応に特殊な違いがある事が分かりました。

 

諸外国でもこの出来事はニュースになりアメリカと同様にウィルスミスが大々的に一方的に非難されたのですが、

 

日本では反応がまったく違ったものになりました。

 

日本では、「よくやったウィルスミス、俺でも同じことをした」

 

「司会者の心無い言葉の暴力は許されるのか」

 

「原因を作った司会者の責任、やられて当然」

 

「ウィルスミスはリスクを冒すことになったとしても夫として家族を守った」

 

などなど、ウィルスミスを肯する意見が圧倒的に多かったのでした。

 

 

日本人だけは彼の心情や行動に共感を得る人が多かったのではないでしょうか。

 

確かに暴力はいけませんが、それなら「言葉の暴力」もあってはなりません。

 

少なくとも、同等に平等に扱われるべきです。

 

この行為や非難の炎上で心身共に精神的に病んでしまったウィルスミスを元気勇気づけたのは、

 

この日本のファンやファンではなくともその心境を理解共感し彼を受け入れた日本人達だったのです。

 

その後、ウィルスミスは映画の番宣で日本を訪れ、

 

訪日で日本人へ感謝を表しより親日家となったとの事でした。

 

コトタマが根付いた日本人には自然と共感し受け入れられ、

 

その物事の本質を諸外国の人達とは違う視点で読み解けたのかも知れませんね。