自分というブランドを創造するか?
それとも死を選ぶか?
そういった世の中になりつつある現代では、
自分というブランドしか、生き残りの道は、
絶たれているといってもいいかも?知れません!
終身雇用はとうの昔に崩壊し、個人の能力でしか、
生きて行くことが、とてもむずかしいのは周知です!
企業はいつ倒産してもおかしくないし、
かと言って、自分の持っている汎用性の乏しいスキルでは、
変化の激しい世の中を縦横無尽に生きるのは、
並大抵の事ではありません!
そんな情報化時代が加速する、スピードの早い現代では、
一人の個人としての能力が最大の安定・安心であり、
生きていくために不可欠な源泉になってきているのを、
感じていると思います!
これは世界的な規模で起きている潮流であり、
産業化時代の終焉を意味しています。
多くの労働は、途上国の安い労働力に取って代わり、
コンピューターの高速な処理により、単純な処理業務も
減っていく一方で、それに伴うリストラが繰り返され、
コンピュータ化が進み、この状況は改善不可能な状態です!
終身雇用や、労働が約束されていた産業化時代には、
個性や個人の能力はむしろ邪魔なもので、
均一化することで、管理を単純化していましたが、
今はその逆で、生き残るために不可欠なものは、
人との違い、個人としてのブランド力、絶対的な差、
つまり誰にも真似できない個性的な能力なんです。
これからの社会が必要とするものは、
個々人、一人ひとりの個性的な能力の集合体としての労働力
コンピューターや途上国の労働力では実現不可能な、
ブランド価値の高い、個人としての個性的な能力です!
そもそも人間とは、考える労働力と言われていましたが、
産業化時代には、考えることを否定され尽くして、
最終的にはロボット化され、単純労働の奴隷になりました。
そして、情報化時代が到来した事で、
単純労働は、コンピューターや途上国の労働力に取って代わり、
皮肉にも、考える労働力が必要になったのです!
コンピューターや途上国の労働力では代替不可能な、
価値提供を前提とした労働力の確保が、
企業が生き残るために必要不可欠なリソースとなり、
単純に、従業員ではなく、誰々という名前の個人の力、
誰々と言う名前のブランドの力が、大量に必要になってきています。
これは人間らしい生き方を望む人には、チャンスですが、
産業化時代の生き方を望む人には、厳しい現実です。
どちらにしろ、変化を求められている現在、
選択肢もなく、安心や安定は、個人のブランド力でしか、
手に入れることは、難しくなっています。
人類史上初めてと言って良いのか?
それとも昔の個人企業しかないような時代に戻ったのか?
定かではありませんが、情報化時代のスピードは早く、
これに柔軟に対応していく人材が広く求められている事に、
変わりはありません!