再・人生九転び一起き -9ページ目

再・人生九転び一起き

訳あってリニューアルしました


本日は実父の四十九日にあたり、無事納骨を済ませました。
これで夫婦揃って27年振りに語らえるでしょう。
お疲れ様でした。



その足で関西(枚方市)の叔母を訪ねるため移動。途中、名古屋で一旦降りて元同僚とランチ。
再び、移動して19時に叔母宅。

90歳の叔母に実父(実弟にあたります)の納骨を報告し、亡くなる前日の動画をスマホでお見せしました。

21時過ぎに大阪市内のホテルに到着。
今日から2泊で親戚まわりかな。



明日は兵庫の本家を訪ね、その後元気があれば鳴門海峡にドライブかな、、、


納骨前日も神奈川に前泊しており、3泊4日のじじぃ1人ドライブ満喫ツアーです。


既に数年後の自分を重ねているなー。

ひとりで生きる術を身につけないとですね。


対面した事でホッとしたのでしょうか。

当方の声が聞こえていたのかもしれません。

今朝、急変して旅立ちました。

さすがに昨日の今日で臨終には間に合いませんでしたが、穏やかな顔つきでした。

死因は老衰としてくださっていました。

コロナを乗り越え最後まで自分でリハビリを継続しながら、生ききったのだと思います。

お疲れ様。

転院してしばらく落ち着くと思ったのも束の間。

先週、金曜朝に病院から、昨夜から尿が出ない状態が続いています。血圧などは安定していますが、急変した場合お住まいが遠いので間に合わないかもと、予めご報告です、と。

早くも腎機能が落ちてきた?
と念のため急遽休みをとり、備えてはいましたが、
夕方の連絡では日中2回自力で尿が出たとの事。

血圧も安定しているなら、緩やかに状態が落ちていくのかな、とも思いましたが、看護師さんからはそうは言っても今の横ばいが続くとは限らず、主治医から息子さんのみなら面会してもらっても大丈夫、との話があり、週末お越しいただくのは可能でしょうか?と。

転院時に対面できておりませんでしたし、ここで会わないとこのまま最期を迎える可能性も充分ありますので、急遽予定を変更し、本日行ってきました。

できれば息子も一緒にと思いましたが、難色を示されたので一人で向かうことに。

病棟に着いてから、色々と段取りを整えて頂いて約2年振りの直接面会となりました。

身動きできずと聞いていましたが、麻痺のない右腕をゆっくり動かして布団を捲り上げたり、病衣をひっぱったり、ベッドサイドを掴んだり、と予想をはるかに超えて力が残っています。

こちらからの声かけには反応はできず、目線も合いませんが、時々動きに追視したりしています。
たぶん、聞こえているのでしょうね。

嚥下機能が落ちているため、ぶーぶーと言いながら口呼吸をしています。

12年前に脳出血で倒れ左半身麻痺になりましたが、常に動く右手で左腕、左脚を自分でマッサージリしていました。

右手を改めて観察すると左腕を押さえるような動きを繰り返していました。

あーっ、まだ自分と闘っているんだな、諦めていないのかもしれないな、とその姿に少しこみ上げてくるものがありました。

点滴のみではそれほど長くはもちませんし、少しでも早く楽になれたらいいな、と思っていましたが、もしかしたらそうではないのかもしれませんね。

私はこれまでずっと逃げる事を選び、やり過ごそうとしている生き方です。ここ数年のうちにはこの生き方も大きく変えようとしている、ヘタレです。

実父は親としての生き方は決してよくやったよ、と声をかけられるようなものではありませんし、病に倒れてからの往生際の悪さにもずっと憤りを感じてきました。

今もその心境に変わりはありませんが、憤りについてはきっと自分では同じような生き方が選べないことの自分への怒りだったのかもしれない、と今日の姿をみてふと思いました。

今週末、息子は小学校を卒業します。
おそらくはそれを待ってくれているのでしょう、と勝手に思っています。
この春は様々な想いを巡らすことになりそうです。