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~前回までのあらすじ~

ただ毎日を虚無的にこなし

暗く憂鬱な高校時代を

過ごしていた私は、ある日、

日ごろから気に食わなかった

ゲイの同級生に喧嘩を仕掛け

全治二か月の怪我を負わせてしまう

自分の停学処分だけでなく、

サッカー部の連帯責任として

選手権出場を棄権することが検討される中

私は停学初日を迎えるのであった

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私の停学は

学校内謹慎と自宅謹慎に分かれていました。

 

学校内謹慎とは、

遅い時間に登校することで

ほかの生徒の目を避け、

隔離された部屋で一日を過ごし、

皆が帰る少し前の時間に

一足早く下校する謹慎の事です。

 

私の学校には、

部活の合宿用の小さな宿舎があり、

その中の6畳ほどの部屋に

隔離されていました。

 

ローテーブルに座布団があるだけの

殺風景な部屋で、正座をし、

ひたすら反省文を書き続ける日々を

過ごしていました。

 

私の記憶を辿る限り

人生で一番時間が長く感じた

日々だったでしょう。

 

1時間に1回ほど、不定期に巡回に来る

教師の足音を聞いて急いで姿勢を正す姿は

ほぼ囚人のそれでした。

 

 

時折、外を見ると、女子生徒が

体育でテニスをしていることがありました。

娯楽がなさ過ぎて、これを見ることだけが

私の唯一の楽しみでした。

 

以前、少年院の子供たちが

現場見学に来た女子大生を見て

オナニーをしてしまうという話を

どこかで聞いたとき、

 

(心底気味が悪いな・・・)

 

と、思っていましたが

その気持ちがよく分かったのを覚えています。

暇すぎる時間は、人の精神を蝕むのです。

 

テニスコート側から見ると、

カーテンとカーテンの隙間から

自分たちを覗く、私の姿は

不審者か幽霊のどちらかでしかありません。

 

しかし私にとって、そんなことは

もうどうでもいいのでした。

その時はとにかく時間が

早く過ぎることを願っていました。

 

 

謹慎期間中

私と授業で関わりのあった教師達が

交代で面談に来ました。

 

事務的に課題の説明をする人

 

他人行儀に「がんばれ」と励ます人

 

嫌味を言って帰る人

 

どの言葉にも

何も感じなくなっていました。

 

ただ唯一覚えているのは

学年主任に

 

「この話は、他言無用だぞ

 自分の心の中だけで解決しろ

 彼女にも話すなよ・・・」

 

と、言われたことです。

 

彼女・・・?

 

当時、彼女なんているはずのなかった私は、

虚しくなりながら、

 

『はい・・・』

 

とだけ答えました。

なぜかこれだけ妙に心に残っています。

 

 

その後、3週間分の課題を

1週間で終わらせた私は、

残りの自宅謹慎を終え、

模範囚のごとく2週間で停学解除となり、

学校に戻ってきました。

 

父の言葉が効いたのか定かではありませんが、

選手権辞退の話も、教師陣の多数決で

棄却されることになり、退学せずにすみました。

 

サッカー部をやめることも考えましたが、

ここでやめたら、一生負い目を感じて

生きることになると思い、

意地でも辞めないことを決意し、

卒業まで続けることができました。

今思えばその選択は正しかったと思います。

 

 

先日、実家に帰った際、

当時の反省文を見つけました。

そこにはこう綴られていました。

 

「暴力の代償は信頼だ

 信頼を失うのは簡単だった。」

 

(我ながら、

 それらしい言葉をよく並べていたな)

 

と、思いましたが、

良く考えると、

そもそも私は信頼されるような

人間じゃなかったので、

それは間違いだと気づきました。

 

今私が考える

暴力の代償は「痛み」です。

それは、物理的な痛みではなく

心の痛み。

 

これから30歳になろうとしている私が

こんな昔のことで、うじうじ考えている

 

これこそ不健全極まりなく、

今後も節目節目でこれを繰り返すでしょう。

 

心の痛みは消えることがないのです。

 

そしてそれは、

被害を受けたゲイも同じです。

 

 

先日、会社で

「LGBT理解講習」というものに参加しました。

ダイバーシティ社会に伴う、人事制度の変更も

踏まえて、社員の理解力を高める目的でした。

 

彼らがどれだけ、生きにくい世の中で

苦しんでいるのか、それに対し正しく理解し

彼らをどうサポートするのか・・・

※もちろん苦しんでいない人もいると思います。

 

そんな内容でした。

 

講義の最後に、

LGBTの理解者のみ登録できる

「アライ」という団体に参加するか

聞かれました。

 

私は迷わず

 

『はい!』

 

と答え、証明ステッカーを貰いました。

 

そこには、

 

「これを自分の持ち物の

 見えるところに貼ってください」

 

と書かれていました。

 

 

高校時代のゲイ。

 

今はどうしているのでしょうか。

 

彼にとって日本は

生きやすい国になったのでしょうか。

 

いずれにせよ、

私は彼の幸せを願うことしかできません。

 

 

『少しでもあの時の償いになればいいな』

 

 

と、私は自分のPCにステッカーを貼ったのでした。

 

 

暴力の代償 完