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~前回までのあらすじ~

ただ毎日を虚無的にこなし

暗く憂鬱な高校時代を

過ごしていた私は、ある日、

日ごろから気に食わなかった

ゲイの同級生に喧嘩を仕掛け

全治二か月の怪我を負わせてしまう

自分の停学処分だけでなく、

サッカー部の連帯責任として

選手権出場を棄権することが検討される中

私は学校をやめて、

すべてから逃げようとしていた

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停学の通達を正式に受け取るため

私と母親は校長室に向かっていました。

 

これが校長室に足を踏み入れる

最初で最後の機会でした。

日当たりが悪く、薄暗い部屋からは

木がカビた臭いが漂っており

気分が一層落ち込んだのを

今でも覚えています。

 

大人たちの冷たい目線に

辟易しながら、校長から停学証を

慎ましく受け取りました。

 

校内での暴力

および

同級生への侮辱行為

(実際にはイジメと判断された)

 

この2点を加味し、

1週間の学校内謹慎と

2週間の自宅謹慎

計3週間の停学を命じられました。

 

渡された書類には、

停学の心得や反省文のひな形

謹慎中の課題、一日の行動履歴記録表が

パンフレットのようにまとまっていました。

 

しかし、肝心の

サッカー部の進退については

触れられていませんでした。

その場で質問することもできず、

この日は胸にもやもやが残ったまま

家路につきました。

 

 

帰り道、

母親が妙に優しかったのを覚えています。

 

「お母さん、今日仕事休むから

 何か食べて帰ろうか。

 そうだ!この前おいしいって言ってた

 近くのパン屋さんに行こう!」

 

私を元気づけようと、

カラ元気を振りまく母を見て

また胸が苦しくなるのでした。

 

その日食べたカレーパンの味は

いつもより味が濃い気がしました。

 

 

夜になり、明日から始まる停学ライフに備え

課題を見直していました。

 

ひたすら教科書を写経のように書き移す、

これぞ罰!というような課題が多く

先が思いやられていると

 

 

ピンポーン!

 

 

誰かが家に来たようでした。

 

急に嫌な予感がし、

その予感は見事に的中しました。

 

父親でした。

 

私の父は、私が中学2年生の時

ある出来事を機に家から

いなくなっていました。

 

それからほとんど会うことは

なかったのですが、

母親から今回の事件を聞いて

家に駆け付けたようです。

 

その時、一番会いたくなかった人でした。

 

昔のように殴られると思い

 

身体をこわばらせて、身構えていると

 

・・・・・・

 

「ごめんな・・・こんなことになって・・・」

 

と、半泣きで謝っていました・・・

 

父親も母親と同じく、

自分たちのせいで、息子が

おかしくなってしまったと

思ったのでしょうか・・・

 

母親が家に泊まることは

許さなかったので

 

少し話した後、

父親は帰っていきました。

 

 

当時、父親がどこに住んでいたのか

全く知りませんでしたが、

最近になってあの日、

香川県から来たということを知りました。

 

そして父は次の日に、

校長のところへ行き、

 

「自分の息子が退学することになったら

 次は、法廷で会うことになる」

 

と、殴り込みにいったようです。

 

先日初めて、父親からこの話を聞かされ、

当時、悲劇の主人公を演じていた自分が

とても恥ずかしくなりました。

 

 

とはいえ、そんな事とはつゆ知らずの

高校時代の私は、学校内謹慎初日を迎え、

1限目が既に始まっている少し遅い時間に、

校門に到着するのでした。

 

続く