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~前回までのあらすじ~

ただ毎日を虚無的にこなし

暗く憂鬱な高校時代を

過ごしていた私は、ある日、

日ごろから気に食わなかった

ゲイの同級生に喧嘩を仕掛け

全治二か月の怪我を負わせてしまう

もう周りに隠すことができないと悟り、

不安に駆られながらも

私は、秋の晴天の空の下

学校に向かうのであった

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学校に着き、教室を見渡すと

ゲイの姿は見当たりませんでした。

 

(覚悟を決めるしかないな・・・)

 

朝礼で呼び出しされる

心の準備は整い、じっと待っていましたが、

何事もなく時間は過ぎ去り、

気づけば1限目の体育が始まっていました。

 

 

体育では、三日後に迫る

全校参加の陸上競技大会に向けて

皆が楽しそうに練習に取り組んでいました。

 

すると、その時、

 

「おい!!!!!

 ちょっとこっちに来い!!!!!」

 

体育教師でもあり、

サッカー部の顧問でもある教師に

自分の名前が呼ばれていました。

尋常ではない怒号に辺りは静まり返っていました。

 

「おまえ、なんで呼ばれたかわかるよな?」

 

警察密着24時で

ガンジャを栽培する家に押し入るときの

警察のような口調で問い詰められ、私は

 

『はい・・・』

 

とだけ答えました。

 

そのあと別室で事情聴取をされ、

自分の処分については

来週頭に、会議が行われること

その結果が出るまでは学校にくること

 

そして・・・

 

この件によってサッカー部は

選手権出場の辞退を検討すること

 

が告げられました。

 

当時、1個上の先輩たちが

公立進学校では快挙に近い快進撃を続け

県のベスト16まで駒を進めていました。

 

この出場を辞退することになれば

100人を超えるサッカー部員とその家族から

一生恨まれる学生生活を送らなくてはいけない・・・

 

私はそれに耐えることはできないと思いました。

 

『もしそうなったら、ずるいと思いますけど・・・

 学校をやめます・・・』

 

そう静かに告げると、

 

「そうか・・・」

 

とだけ返ってきました。

 

私が学校をやめることに対して、

関心がないように思えました。

 

その日、家に帰ってすぐに

選手権が出場辞退になったら、

学校をやめる旨を母親に伝えました。

 

「バカなことを言うんじゃない!!!」

 

と泣きながら怒っていましたが、

私は、それを横目に

パソコンで高校卒業相当の資格、

所謂「大検」の取り方に

ついて調べまくったのを覚えています。

 

次の日から、

刑の確定まで留置所に入れられる

被疑者たちの気持ちを感じつつ

心を無にして、学校を過ごしていました

 

また、数日間普通に学校に行くということは

三日後の陸上競技大会にも

参加しなくてはいけないのか・・・

と、憂鬱になっていました。

 

(絶対に目立たないようにしよう・・・)

 

そう心に誓いました。

 

 

陸上競技大会当日、

私は、運よく一番の不人気種目の

走り高跳びを事前に選択しており、

 

(これなら、だれも見てないだろ・・・)

 

と、安堵していましたが、

不人気故、参加人数が少なく

私の160cmという

カスみたいな記録で

なんと1位となってしまったのです。

 

閉会式で校長から賞状を受け取る私・・・

まさか校長も来週この男に

停学証を渡すことになるとは

思わなかったでしょう。

※先日実家に帰ったら

  この賞状がまだ机の中にありました(笑)  

 

 

週末をはさんだ月曜日、

停学式という私だけのために開かれる

神聖な儀式が催されるとのことで、

私は母親と学校に向かっていました。

 

(母親と学校に行くなんて

 小学生の入学式以来だな・・・)

 

などと思いつつ、

少し前を歩く母の背中が

小さく見えたことに気づき

胸が苦しくなるのでした

 

続く