聖護院 散策 | 日々の戯言

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今日は、朝から晴れ。1月の休みは寒い日が続いたので、久しぶりに京都へ。
「京の冬の旅」の特別公開中なので、ホームページを覗き聖護院を訪ねる事にする。
京都駅から市バスの206系統に乗り、熊野神社前で下車して聖護院へ。

法螺の音が聞こえるので、何事かと思い足を進めると、聖護院の塔頭である
積善院凖提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)五大力法要が営まれていた。
多くの人出で賑っており、ちょっとお邪魔すると大根汁を勧められたので馳走になる。
(残念ながら、余り美味しくはなかった。)
人出が多いところは苦手なので焚き火で暖を取った後、早々に辞退して聖護院へ。

聖護院は、門跡寺院であり仮御所となった事もあるので、宸殿には狩野派の襖絵が
100面以上あり、なかなか見応えがあった。
特に庭園の市松模様の白砂が印象的である。今まで見てきた建仁寺龍安寺等の
禅宗寺院の方丈庭園は、白砂に文様を描き海を表していたが、市松模様の庭園は
始めて見る。
拝観の最後に、自由に吹いていい法螺貝が置いてあったので、チャレンジしてみたが、
小さな音すら出ず残念。(COPD一歩手前で肺活量が低下しているのか?)



<聖護院(しょうごいん)>
京都府京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山の寺院。
同宗派設立以前は天台寺門宗に属した。山号はなし。開基は増誉、本尊は不動明王である。
日本の修験道の中心寺院の1つ。近世以降、修験道は江戸幕府の政策もあって「本山派」、
「当山派」の2つに分かれたが、聖護院はこのうちの本山派の中心寺院であった。
また、代々法親王が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った。
江戸時代後期には2度にわたり仮皇居となったこともある。
当寺の開基は園城寺の僧・増誉である。増誉は1090年(寛治4年)、白河上皇の熊野詣の
先達(案内役)を務めた。この功により増誉は熊野三山霊場の統括責任者である初代の
熊野三山検校に任じられ、役行者が創建したとされる常光寺を下賜された。
これが聖護院の創建である。寺名は「聖体護持」の意である。
熊野三山検校の地位はその後園城寺が引き継いでいたが、室町時代中期からは聖護院が
務めるようになった。(Wikipediaから抜粋)



  聖護院の塔頭 積善院凖提堂の五大力法要
  門の奥に写っている後姿の山伏は、お尻に鹿あるいは狸の毛皮を着けており、
  腰には同じく毛皮で作ったポシャットを付けている。
  暖かそうなので一度着けてみたいものだ。



  聖護院


 


 



  市松模様の白砂と白梅


 



  宸殿の東側の庭園には、馬酔木(アセビ)が植えられていて小さな白い花を沢山付けていた