鯖寿司とうどんのセットを食べたのだが、田舎で作る鯖の姿寿司ほど酢飯が酸っぱくなく、
肉厚の鯖の上に昆布が乗っていて実に美味しかった。
大原は、若狭と京を結ぶ鯖街道にあるので、古くから鯖寿司が作られているのであろう。
三千院から京都バスの停留所まで歩き、そこから谷の向こう側にある寂光院まで600m。
車1台が通れるぐらいの田舎道をてくてくと歩いて行く。耕地整理もしていない田圃の畦には
曼珠沙華が咲き乱れ、40年も前の実家の風景そのままで、とても京都市内とは思えない。
田圃もなくなった行き詰まりが寂光院の入り口。
大原と言えば三千院が一番の観光名所であるが、私の中では寂光院の名前の方が
早くから覚えた記憶がある。それは多分、中学の時の日本史で平家滅亡の歴史を知り、
平清盛の娘徳子が高倉天皇の中宮となったが、平家滅亡後に出家して建礼門院となり、
息子安徳天皇や平家一門の菩提を弔った事を習ったからであろう。
<寂光院>
京都市左京区大原にある天台宗の寺院。山号を清香山と称する。寺号は玉泉寺。
本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。平清盛の娘・建礼門院が、
平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。
平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。
平成12年5月9日の放火で本堂は焼失し、本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損。
寺伝では推古天皇2年(594年)、聖徳太子が父・用明天皇の菩提のため
開創したとされ、太子の乳母玉照姫(恵善尼)が初代住職であるという。
現在、『平家物語』に登場する建礼門院隠棲のゆかりの地として知られている。
建礼門院徳子は平清盛の娘、高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母である。
壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって
平家一門と高倉・安徳両帝の冥福をひたすら祈っていた寂光院で余生を送った。
(Wikipediaから抜粋)
拝観受付から山門へ続く石段
昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材で作られた
茶室 孤雲への入り口の木戸
茶室 孤雲と前面の池
寂光院山門
本堂の東側にある四方正面の池
寂光院本堂
平成12年5月9日未明、放火により焼失
写真左の人物の前の枯れた木は、樹齢数百年の「姫小松」と呼ばれた五葉の松
本堂焼失の際に被災し平成16年に枯死
建礼門院大原西陵
元は寂光院の境内にあったらしいが、今は宮内庁管理
寂光院からの帰り、大原の里を流れる高野川渡った所からの眺め
緋毛氈を敷き詰めた様に曼珠沙華が咲いている
拝観受付から山門へ続く石段
昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材で作られた
茶室 孤雲への入り口の木戸
茶室 孤雲と前面の池
寂光院山門
本堂の東側にある四方正面の池
寂光院本堂
平成12年5月9日未明、放火により焼失
写真左の人物の前の枯れた木は、樹齢数百年の「姫小松」と呼ばれた五葉の松
本堂焼失の際に被災し平成16年に枯死
建礼門院大原西陵
元は寂光院の境内にあったらしいが、今は宮内庁管理
寂光院からの帰り、大原の里を流れる高野川渡った所からの眺め
緋毛氈を敷き詰めた様に曼珠沙華が咲いている









