「楯縫郡(たてぬいのこおり)の条」
(原文)
「所以号楯縫者 神魂命詔 五十足天日栖宮之縦横御量 千尋栲繩持而 百結結 八十結結下而 此天御量持而 所造天下大神之宮造奉詔而 御子天御鳥命 楯部為而 天下給之 爾時退下来坐而 大神宮御装束楯造始給所是也 仍至今 楯桙造而 奉於皇神等 故云楯縫」
(たてぬいのごうのゆえんは かむむすひのみことのりたまいく いそたるあまのひすのみやのたてよこのみはかりは ちひろのたくなわをもち ももにむすびむすび やそにむすびむすびさげて このあまのみはかりをもちて あまのしたつくらししおおかみのみやをつくりまつれとのりたまう みこあまのみとりのみことを たてべとなして あまくだしたまう そのときまかりくだしきまして おおおかみのみやみよそおうたてづくりたまいしところこれなり よりていまにいたるまで たてほこつくりて すめかみにたてまつる ゆえにたてぬいという)
(現代文)
「楯縫(たてぬい)と号するゆえんは、カムムスヒがおっしゃるには『十分な広さがある天日栖宮(あまのひすのみや)の縦横が、千尋(ちひろ)もある楮(こうぞ)の縄をしっかり結んで、たくさん結び下げたこの天の秤をもって、オオクニヌシの宮を造り奉れ』とおっしゃって御子の天御鳥(あまのみとり)を楯部として天降りさせました。その時、大神の宮と装う楯を造り始めたのがここである。ゆえに今に至るまで皇神の楯桙を造り奉っている。ゆえに楯縫(たてぬい)という。」
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天御鳥(あまのみとり)はカムムスヒの御子で、『古事記』には登場しない。
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佐香郷(さかのごう)
(原文)
「佐香河内 百八十神等集坐 御厨立給而 令醸酒給之 即百八十日 喜燕解散坐 故云佐香」
(さかかうち ももやそがみたちあつまります みくりたちたまう かもしさけたまう すなわちももやそひ よろこびうたげしあらます ゆえにさかという)
(現代文)
「佐香の河内に百八十神が集まって、宴会の場所を設け、酒を醸し、すなわち百八十日、喜び宴し、皆にふるまった。ゆえに佐香(さか)という。」
玖潭郷(くたみのごう)
(原文)
「所造天下大神命 天御飯田之御倉 将造給処 覓巡行給 爾時 波夜佐雨久多美乃山詔給之 故云忽美 神亀三年改字玖潭」
(あまのしたつくらししおおかみ あまのみいいだのみくら しょうにつくりたまわんと もとめめぐりききたまう とき はやさうくたみのやまとのりたまう ゆえにくたみという)
(現代文)
「オオクニヌシが天御飯田(あめのみいいだ)の御倉を造るために巡り行かれた。そのとき、「波夜佐雨久多美(はやさめくたみ)の山」とおっしゃられた。ゆえに忽美(くたみ)という。(神亀三年に字を玖潭に改める)」
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「波夜佐雨久多美(はやさめくたみ)の山」…「とつぜん雨が降ってきた山だ」という意。
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沼田郷(ぬたのごう)
(原文)
「宇乃治比古命 以爾多水而 御乾飯爾多爾食坐 詔而爾多負給之 然則可謂爾多郷而 今人猶云努多耳 神亀三年改字沼田」
(うのぢひこのみこと にたのみずをもって みかれいいにたにきこしめして のりてにたとおわしたまう しかればこれすなわちにたのこうというべきを いまのひとぬたというのみ ゆえにぬたという)
(現代文)
「宇乃治比古命が、爾多(にた)の水で乾飯(かれいい)をやわらかく煮て食べよう、とおっしゃって爾多という名を負わせられた。なので、すなわち、爾多郷(にたのごう)というべきを今の人は努多(ぬた)というのです。(神亀三年に字を沼田(ぬた)に改める)」
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宇乃治比古命(うのぢひこのみこと)…須義禰命(すがね)の子(大原郡海潮郷)。『古事記』には登場しない。
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