私が子どものころ、母に聞いた話です。
今から50年も前の話ですが、私の故郷、熊本の八代に高島(たかしま)というところがあります。そこには火葬場があって、その周りには田畑が広がって、人家もまばらでした。50年も前ですから、近代的な火葬場ではなく、レンガで造られた窯で、大きな煙突もレンガ造りです。亡くなった人が荼毘に付されると長い時間、その煙突から黒い煙が出ていました。現在みたいに高温の窯ではないので長く時間がかかったのです。子どもの私はその黒い煙を見るたびに怖くなって悲しい思いをしていたものです。
そんなある日の夜、母が私にお遣いを頼んだのです。高島の親戚の家に行かなければならない用事です。そのお遣いの内容は、今ではもう忘れてしまいましたが、親戚の家に行くには、田畑の中の細い道を通って行かなければなりません。街灯も少なく、田舎の夜はほんとうに怖いです。都会では夜でも空を見ると雲が見えて、明るいのですが、田舎では月が出ていない夜は、漆黒の闇になって、自分の手足さえも見ることができなくなるのです。
母は私に懐中電灯を渡しながらこう言うのです。
「高島には『灰の神さん』が出るので、歩いていて、後ろから声をかけられたら振り向いちゃいかんと。振り向いたら灰をかぶせられて、灰だらけになるけんね」
「こわっ!」
「まあ、それ以上、わるさはせんから、よか神さんかもしれんね」
「歌いながら歩くと、灰の神さんも出てこらっさんけん、歌いながら行くとよかと」
(歌いながら歩くと、灰の神さんも出てこないから、歌いながら行くといいよ)
子どもの私はビビッて、泣きそうになってお遣いに行きました。
母の言ったように、歌いながら、歩きました。当時流行っていた歌、
「う〜え〜を む〜い〜て〜あ〜る〜こ〜う〜 な〜み〜だ〜が〜……」
途中、田んぼの小道で、後ろで「ガサガサ」っと小動物の音がするたびにビクッとして生きた心地がしません。そしてけっして振り向きませんでした。
なんとか、何事もなく家に帰り着いて、ほっとしました。帰ったら、すぐに鏡を見て灰が付いていないかチェックしたものです。
今、思うと「灰の神さん」は火葬場で焼かれた人の灰を生きてる人にかぶせて、「先祖を敬い、ちゃんとお墓参りしなさいよ」と教えていたのかもしれませんね。
高島の火葬場は、近代的な施設となって、今でも同じ場所にあります。奇しくも私の母もこの火葬場で荼毘に付されました。