「古事記考」-41(サホビコとサホビメ-3) | はしの蓮のブログ

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はしの蓮です。古代史、古事記、日本神話などや日々のちょっとした出来事、気づいたことをブログに綴っていこうと思っています。また、民話や伝説なども研究していきます。

 

后を取り戻すことができなかった大君は、兄サホビコと生死をともにするという、サホビメの並々ならぬ決心の固さを知りますが、それでも后に対する思いを諦めきれないので、后に問いかけます。

大君、

「すべて子の名は 必ず母なもつくるを この御子の名をば何とかつけん」
(およそ子供の名は母が付けることになっている。この子の名は何と付けようぞ)

サホビメ、

「いま稲城(いなき)を焼くおりしも 火中(ほなか)に生(あ)れませれば、その御名(みな)は本牟智和気(ホムチワケ)の御子とぞつけまつるべき」
(いま稲城に火を放っているとき、その火中で生まれたので、御子の名はホムチワケの御子としたらよいでしょう)

大君、

「またいかにして日足(ひたし)まつらん」
(またどのように育てたらよいだろう)

サホビメ、

「御母(みおも)をとり 大湯坐(おおゆえ)・若湯坐(わかゆえ)を定めて、日足(ひたし)まつるべし」
(養母を決め、産湯(うぶゆ)を使う大湯坐(おおゆえ)と若湯坐(わかゆえ)という養育者を定めて育てたらいいでしょう)

大君、

「汝(みまし)の堅(かた)めし美豆(みず)の小佩(おひも)は誰(たれ)かも解(と)かん」
(あなたが結んでくれた私の下紐(したひも)を、あなたの他に誰に解かせたらよいだろう)

サホビメ、

「旦波(たには)のヒコタタスミチノウシ(比古多多須美智能宇斯)の王(みこ)のみむすめ、エヒメ(兄比売)・オトヒメ(弟比売)の女王(ひめみこ)ぞ、清き公民(おおみたから)にませば、使いたまうべし」
(丹波のヒコタタスミチノウシの娘でエヒメ(兄比売)・オトヒメ(弟比売)は、清らかな娘ですから、この娘たちを召すのがよいでしょう)

 

ここに登場するエヒメ(兄比売)・オトヒメ(弟比売)は第12代景行天皇が召しかかえようとしていたエヒメ・オトヒメとは別人で、ここではヒコタタスミチノウシの娘の兄比売・弟比売たちという意味です。実際には四人姉妹です。
 

サホビメを奪還できなかった大君は、このように未練がましく長々と、后サホビメに問いかけてきたのですが、とうとう尋ねることがなくなってしまいました。
ついに大君は苦渋の決断を下して、稲城に大々的に火を放ち、総攻撃をしかけます。
逃げ場を失った兄のサホビコは、迫りくる炎に巻かれ、とうとう焼け死んでしまったのです。
ああ、哀しいかな、それを知ったサホビメは、涙して自決し、兄の後を追いました。