2005年の5月にLotus8(ロータスエイト)を東日本橋で立ち上げた。
そのころは、編集部のみ。
そしてそのとき、ちょうど東京の東エリアにさまざまなヨガが体験できる場所が
あるといいなという話が僕たちの中で浮上した。
おっと、ロータスエイトの立ち上げメンバーは
僕、橋村伸也と編集の大嶋朋子、そして当時は財務的なことや広告代理的なことを
行っていた、酒造博明(現オハナスマイルとヨガジェネ代表)、そして今は雑誌TARZANを
はじめとしたスポーツアパレルのスタイリングをするスタイリスト村上由祐。
ひろ(酒造博明)に関しては、僕が20歳の頃、イギリスに武者修行に出かけていた時に
出会った。その頃の僕はそうとう尖っていたらしく、ひろにとっては、かなりくせ者だったらしく
それがよかったとか。
最近はいろいろな意味でもまわるく、円を描くような動きの僕?
でもって、イギリスに僕は二年ほど、ヒロは一ヶ月滞在して、日本に戻り
それからペンパルとなった。
当時はメールがなかったのだ。
一週間に一度ほどのやり取り、なので、一ヶ月に2通ずつのコミュニケーションだ。
そんなこんなで、僕が帰国してヒロは、大学生を終え、広告代理店に就職した。
その頃僕は、一人で京都の山奥で雑誌の研究をしていた。
そうとう変な人だ。
その後、25歳で東京へ。そして編集プロダクションを経て、エイ出版社に就職した。
そのあと5年働き、そして、ロータスエイト立ち上げのために
必要な人材として、ヒロを大阪へとハントしにいったのだ。
ヒロとの再会もおそらく4年ぶりぐらい。
ということで、むりやりヒロを説得した。
村上由祐は、当時、編集のお手伝いと、お洋服を借りる仕事、そして革細工などの職人的な仕事を
していた。めっぽういい男で、面白いやつだったから、誘った。
ヒロは27歳、180センチ、ユースケ(村上)は24歳、182センチぐらい。この大きな柱の間に
僕は29歳、173センチ。
でもがたいはいい。
そこに昭和40年生まれの大嶋さんの
この4人だった。
立ち上げ時は、とにかくお金がない。あっても使えない。
そんな状況で、オフィスをかまえるにも、デスクを買うのももったいない。
ちなみに、オフィスは僕が勝手に東日本橋のオシャレなビルにいい部屋見つけたといい
決めてきてしまったのだ。
それが現在のスタジオロータスエイトの5階。ハスハチキッチンの場所だ。
ハスハチは僕が再度リノベーションしてカフェにしたから、現在の姿はないけれど。
とにかくオシャレなスペースだった。白くて。。木のデッキもあったし。
期待と希望と不安、それ以外ないような感じで。。。
あの真っ白の空間に、阿佐ヶ谷のクーラーも暖房もないアパートから
ちゃぶ台を持ってきて、座布団を引き,これからの僕たちの構想を練ったことは忘れならない。
とある工業高校が大規模増築工事を刷るとかで、これまで使用していた
デスクなどが大規模に捨てられるとか聞きつけ、そこに向かった。
日曜日だったかな。トラック借りて。。。
みんなでゴミの山から、あさったあさった。。。
本当の話だよ。
ちなみにそのゴミの山から木のデスクを8つ持ってきて、それをキレイにサンドペーパーで
磨いて、ニス塗って使ったの。
現在残っているのは、スタジオにある1台のみかな。
それと、事務所にある作業台は、そこからもらってきたもの。
そのあと、
2005年9月にセレクトショップのように、ヨガをバイイングしてくるスタジオとして
また、デザインされたスタジオとして、ヨガスタジオ「Studio+Lotus8」が誕生する。
ここで、現在のスタジオディレクターである佐藤美希(みきんぐ)がくわわるわけです。
このスタジオの構想には、実は、吉川めい、ケン・ハラクマ、三浦徒志郎、綿本彰
そしてゴヴィンダ・カイ、ダンカンウォン(すべて敬称略)などに相談した。
ロータスエイトのスタジオは、
平日は通常クラス、土日はワークショップのみで構成されていて、
土日は有名な先生がやってきて、深い知識と知恵を落としていってくれるというもの。
スタジオのオープンまでには、とにかくデザインから何から何まで大変だった。
雑誌を作りながら、ほかの事業の構想に手を出すのは至難の業。
でも、自分のセンスと感性が含まれていないといやで、ひろともいろいろ言い合ったし、
とにかくいいもの作ろうとがんばったよ。
でもね、ここでもお金がなくて、ロッカーが購入できない問題が発生。
うーん、うーんと悩んでいた。
そもそも。当時のヨガスタジオとしては40人分のマットが引けることは
すごく重要で、それぐらいの人数分のロッカーを用意することも
資金がなかった僕たちには大変だった。
それなのに、また奇跡がおこる。
ロッカーが落ちていたのだ。
僕がヨギー二の撮影のロケ場所を探していたら、おじさんたちがロッカーを運び出して
なにやらいらなさそうにしている。それも大量に。
「これ。もらえます?」
「いいよ。すぐに持っていけるなら!」
すぐにひろに電話して、僕の車をオープンにして、ありえないけれど、ロッカーを後部座席に
差し込み、それを4往復ほどしたっけ。
僕のこと知っている人は驚かないけれど、望んだものが落ちていることが良くある。
この前はカーテンレールが欲しかったんだけど、それがまるまる落ちていた。
メーカーまで思っていたやつ…。
変な力がある。。。
そして、ある段階から、ヨガを大きくとらえた理想型に近づこうとして、
オーガニックカフェを立ち上げ、またヨガ以外の知識だけど、ヨガにも通ずるような
大人のアカデミーとして体内ロハスアカデミー(現ロータスエイトアカデミー)を立ち上げたの。
こちらも今、思えばなかなかすごいクラスをやっている。
大人気の深澤里奈さんのティージャーニー、テフテフさんのグリーンスムージー、これらは現在も
行っており、100万部を突破してしまった大ベストセラーの近藤麻理恵さん(こんまり)の片付けレッスンも行っていたのだから。
そして、2008年からもともとあったスタジオのはす向かいに、
ハスムカイスタジオを立ち上げ、さらにはそこ場所で
ロータスエイトから生まれた指導者養成コースがスタートしたのだ。
それは2010年のこと。先週末、4期生が卒業した。
この指導者コースは、教え方を教えることにはそんなに重きを置くものではない。
それ以上に、教える人になる志と知識と経験をすることを大切にしている。
ヨガの指導者になる人作り(準備)+自分なりのヨガクラスの作り方(実践指導)
この構成だ。
本来ヨガは教え方を学ぶものではない。
自分が学んできたことを伝えることが重要なだけだ。
でもヨガスタジオなどでは、人間性と教える技術、また現在問題となっている
教えていいこと、いけないことがしっかりと理解している指導者が必要で
そういう人たちが、
だれかの「初めてのヨガ」、いわゆるヨガデビューに立ち会うことになる。
誰に、どのように、どんな場所で、どんなヨガを教えてもらうかが、
ヨガを好きになってもらえるか、今後ヨガを続けてもらえるかということに
大きく関わってくる。
これは本当に重要なことだ。
2012年。
僕たちは、ロータスエイトから立ち上がった、
BLUE LOTUS PUBLISHING(ブルーロータスパブリッシング)という
出版社となった。
ロータスエイトの兄弟だ。
駆け足でここまできたけれど、しんどいこともあったけど、
ヨガの力と、幅広くヨガを理解したことで、なにかしらの生き方と挑戦方法を
学んだ気がしている。
僕がこれまで幾度となく挑戦できているのには
多くのヨガの言葉がある。
一つはヨガのもの、
もう一つは、そうでないもの
そして、最後はヨガっぽいもの。
「恐れは、無知からはじまる。」 by ゴヴィンダ・カイ
「あなたの情熱が、まだ誰も見たことのない高みへと導きますように」by 石川直樹の旅の本
「まだ見ぬ未来へ不安がらず、過ぎ去った過去へ執着せず、今この瞬間を集中して生きる」 by 先生達
人はどんな状況であれ、前に進めるようにデザインされている。
体や骨格がそうなように。もちろん後ろにも戻れる。
ときにはそのような選択もありだ。でも後ろ向きは無理な体勢。
長くは続かない。
ようは、結局は前にしか行けない、行かない生き物。
そう、ポジティブなのだ。
もし、今しんどい人がいても、それはあくまで、すばらしい人生に向かう途中。
幸せへの過程にしかすぎない。
ロータスエイトは、僕が毎日そういう思いで積み上げてきた会社。
そしてスタッフのみんなも、個人の表現方法は別であれ、
そういうマインドで向かっている。
自分の人生に必要な何かを求めている人は、ロータスエイトのパッション(情熱)に
触れられる、スタジオや、アカデミー、指導者コースにきてもらうと
共感し、仲間を見つけた気持ちになれる思います。
では、ここまでにします。
ありがとう。
橋村伸也
そのころは、編集部のみ。
そしてそのとき、ちょうど東京の東エリアにさまざまなヨガが体験できる場所が
あるといいなという話が僕たちの中で浮上した。
おっと、ロータスエイトの立ち上げメンバーは
僕、橋村伸也と編集の大嶋朋子、そして当時は財務的なことや広告代理的なことを
行っていた、酒造博明(現オハナスマイルとヨガジェネ代表)、そして今は雑誌TARZANを
はじめとしたスポーツアパレルのスタイリングをするスタイリスト村上由祐。
ひろ(酒造博明)に関しては、僕が20歳の頃、イギリスに武者修行に出かけていた時に
出会った。その頃の僕はそうとう尖っていたらしく、ひろにとっては、かなりくせ者だったらしく
それがよかったとか。
最近はいろいろな意味でもまわるく、円を描くような動きの僕?
でもって、イギリスに僕は二年ほど、ヒロは一ヶ月滞在して、日本に戻り
それからペンパルとなった。
当時はメールがなかったのだ。
一週間に一度ほどのやり取り、なので、一ヶ月に2通ずつのコミュニケーションだ。
そんなこんなで、僕が帰国してヒロは、大学生を終え、広告代理店に就職した。
その頃僕は、一人で京都の山奥で雑誌の研究をしていた。
そうとう変な人だ。
その後、25歳で東京へ。そして編集プロダクションを経て、エイ出版社に就職した。
そのあと5年働き、そして、ロータスエイト立ち上げのために
必要な人材として、ヒロを大阪へとハントしにいったのだ。
ヒロとの再会もおそらく4年ぶりぐらい。
ということで、むりやりヒロを説得した。
村上由祐は、当時、編集のお手伝いと、お洋服を借りる仕事、そして革細工などの職人的な仕事を
していた。めっぽういい男で、面白いやつだったから、誘った。
ヒロは27歳、180センチ、ユースケ(村上)は24歳、182センチぐらい。この大きな柱の間に
僕は29歳、173センチ。
でもがたいはいい。
そこに昭和40年生まれの大嶋さんの
この4人だった。
立ち上げ時は、とにかくお金がない。あっても使えない。
そんな状況で、オフィスをかまえるにも、デスクを買うのももったいない。
ちなみに、オフィスは僕が勝手に東日本橋のオシャレなビルにいい部屋見つけたといい
決めてきてしまったのだ。
それが現在のスタジオロータスエイトの5階。ハスハチキッチンの場所だ。
ハスハチは僕が再度リノベーションしてカフェにしたから、現在の姿はないけれど。
とにかくオシャレなスペースだった。白くて。。木のデッキもあったし。
期待と希望と不安、それ以外ないような感じで。。。
あの真っ白の空間に、阿佐ヶ谷のクーラーも暖房もないアパートから
ちゃぶ台を持ってきて、座布団を引き,これからの僕たちの構想を練ったことは忘れならない。
とある工業高校が大規模増築工事を刷るとかで、これまで使用していた
デスクなどが大規模に捨てられるとか聞きつけ、そこに向かった。
日曜日だったかな。トラック借りて。。。
みんなでゴミの山から、あさったあさった。。。
本当の話だよ。
ちなみにそのゴミの山から木のデスクを8つ持ってきて、それをキレイにサンドペーパーで
磨いて、ニス塗って使ったの。
現在残っているのは、スタジオにある1台のみかな。
それと、事務所にある作業台は、そこからもらってきたもの。
そのあと、
2005年9月にセレクトショップのように、ヨガをバイイングしてくるスタジオとして
また、デザインされたスタジオとして、ヨガスタジオ「Studio+Lotus8」が誕生する。
ここで、現在のスタジオディレクターである佐藤美希(みきんぐ)がくわわるわけです。
このスタジオの構想には、実は、吉川めい、ケン・ハラクマ、三浦徒志郎、綿本彰
そしてゴヴィンダ・カイ、ダンカンウォン(すべて敬称略)などに相談した。
ロータスエイトのスタジオは、
平日は通常クラス、土日はワークショップのみで構成されていて、
土日は有名な先生がやってきて、深い知識と知恵を落としていってくれるというもの。
スタジオのオープンまでには、とにかくデザインから何から何まで大変だった。
雑誌を作りながら、ほかの事業の構想に手を出すのは至難の業。
でも、自分のセンスと感性が含まれていないといやで、ひろともいろいろ言い合ったし、
とにかくいいもの作ろうとがんばったよ。
でもね、ここでもお金がなくて、ロッカーが購入できない問題が発生。
うーん、うーんと悩んでいた。
そもそも。当時のヨガスタジオとしては40人分のマットが引けることは
すごく重要で、それぐらいの人数分のロッカーを用意することも
資金がなかった僕たちには大変だった。
それなのに、また奇跡がおこる。
ロッカーが落ちていたのだ。
僕がヨギー二の撮影のロケ場所を探していたら、おじさんたちがロッカーを運び出して
なにやらいらなさそうにしている。それも大量に。
「これ。もらえます?」
「いいよ。すぐに持っていけるなら!」
すぐにひろに電話して、僕の車をオープンにして、ありえないけれど、ロッカーを後部座席に
差し込み、それを4往復ほどしたっけ。
僕のこと知っている人は驚かないけれど、望んだものが落ちていることが良くある。
この前はカーテンレールが欲しかったんだけど、それがまるまる落ちていた。
メーカーまで思っていたやつ…。
変な力がある。。。
そして、ある段階から、ヨガを大きくとらえた理想型に近づこうとして、
オーガニックカフェを立ち上げ、またヨガ以外の知識だけど、ヨガにも通ずるような
大人のアカデミーとして体内ロハスアカデミー(現ロータスエイトアカデミー)を立ち上げたの。
こちらも今、思えばなかなかすごいクラスをやっている。
大人気の深澤里奈さんのティージャーニー、テフテフさんのグリーンスムージー、これらは現在も
行っており、100万部を突破してしまった大ベストセラーの近藤麻理恵さん(こんまり)の片付けレッスンも行っていたのだから。
そして、2008年からもともとあったスタジオのはす向かいに、
ハスムカイスタジオを立ち上げ、さらにはそこ場所で
ロータスエイトから生まれた指導者養成コースがスタートしたのだ。
それは2010年のこと。先週末、4期生が卒業した。
この指導者コースは、教え方を教えることにはそんなに重きを置くものではない。
それ以上に、教える人になる志と知識と経験をすることを大切にしている。
ヨガの指導者になる人作り(準備)+自分なりのヨガクラスの作り方(実践指導)
この構成だ。
本来ヨガは教え方を学ぶものではない。
自分が学んできたことを伝えることが重要なだけだ。
でもヨガスタジオなどでは、人間性と教える技術、また現在問題となっている
教えていいこと、いけないことがしっかりと理解している指導者が必要で
そういう人たちが、
だれかの「初めてのヨガ」、いわゆるヨガデビューに立ち会うことになる。
誰に、どのように、どんな場所で、どんなヨガを教えてもらうかが、
ヨガを好きになってもらえるか、今後ヨガを続けてもらえるかということに
大きく関わってくる。
これは本当に重要なことだ。
2012年。
僕たちは、ロータスエイトから立ち上がった、
BLUE LOTUS PUBLISHING(ブルーロータスパブリッシング)という
出版社となった。
ロータスエイトの兄弟だ。
駆け足でここまできたけれど、しんどいこともあったけど、
ヨガの力と、幅広くヨガを理解したことで、なにかしらの生き方と挑戦方法を
学んだ気がしている。
僕がこれまで幾度となく挑戦できているのには
多くのヨガの言葉がある。
一つはヨガのもの、
もう一つは、そうでないもの
そして、最後はヨガっぽいもの。
「恐れは、無知からはじまる。」 by ゴヴィンダ・カイ
「あなたの情熱が、まだ誰も見たことのない高みへと導きますように」by 石川直樹の旅の本
「まだ見ぬ未来へ不安がらず、過ぎ去った過去へ執着せず、今この瞬間を集中して生きる」 by 先生達
人はどんな状況であれ、前に進めるようにデザインされている。
体や骨格がそうなように。もちろん後ろにも戻れる。
ときにはそのような選択もありだ。でも後ろ向きは無理な体勢。
長くは続かない。
ようは、結局は前にしか行けない、行かない生き物。
そう、ポジティブなのだ。
もし、今しんどい人がいても、それはあくまで、すばらしい人生に向かう途中。
幸せへの過程にしかすぎない。
ロータスエイトは、僕が毎日そういう思いで積み上げてきた会社。
そしてスタッフのみんなも、個人の表現方法は別であれ、
そういうマインドで向かっている。
自分の人生に必要な何かを求めている人は、ロータスエイトのパッション(情熱)に
触れられる、スタジオや、アカデミー、指導者コースにきてもらうと
共感し、仲間を見つけた気持ちになれる思います。
では、ここまでにします。
ありがとう。
橋村伸也