土曜日から社会復帰でした。

インフルエンザは一応去ったのですが、

まだ少々風邪の症状がのここっていましたが、

どうしても外せない撮影があり、現場へ。

僕の秘書兼アシスタント兼経理総務(なんでもですね…)の玲が

サポートしてくれて、病み上がりの僕はずいぶん助かりました。

彼女と撮影後は、仕事の打ち合わせを入れていました。

その途中で、なんども話は中断し、

さまざまな方向へ行きました。


深く、広い話をしたのち、家に戻る途中、

雨上がりの公園で、イギリスのことを少し思い出しました。

イギリスにいる時、夜の公園や、まだ薄暗い朝方の公園で

僕は空を見上げていました。

その時僕が感じていたのは、

これから起こる自分の未来への期待と希望。

やるべきことがはっきりしていて、

迷いがなく、多くの知恵を、ヨーロッパの自然と、

さまざまな情報から遮断された生活を、集中した意識の中で過ごすことにより

持つことができていました。

そんな昔の意識の感覚が、よみがえってきました。


このインフルエンザはよかったのかもしれません。

あまりに忙しく働き、またさまざまな世俗的な問題を抱えている僕としては

いったん遠ざかるいい機会だったのかもと。


家に帰り、久しぶりに少しお酒を飲みました。

でもビール一杯で、すぐに寝てしまい、そこで30分。

いつもなら、そこで眠ってしまいそうなものですが、風邪をこじらせてはいけないと

がんばって起きて、寝床に行きました。


インフルエンザの期間、しんどくない時間はこうして、メールなどの文字を打っていました、。

また、しんどい時間は眠っているか、横になって

パートナーの大嶋さんが以前に貸してくれて、あまり読めていなかった

手塚治先生のブッダを読んでいました、


実は、なんとこのブッダを読むのは初めてでした。

読んだことがあるひとは多いと思うのですが、ぼくは意外とマンガを読んできていないこともあり、

いつかは読みたいと思っている漫画がたくさんなんです。


このブッダを読み始めてから、変な夢をたくさん見るようになりましたし、

そして心の中が曇ることが多くなりました。

それは僕の深層心理に問いかけるようなことが多く、

またにわかにインド哲学や歴史、そして苦行や修行、悟りといった言葉と意味が

自分の中に入ってきては、中でざわめきを与えるからでしょう。

なかなか静かにはいられません。


そして今日、久しぶりにオフィスからのメールも少なく、ゆっくりと眠れるだろう日だというのに、

朝方までずっと寝付けず、ブッダを読んでいます。


読み進めることの心のしんどさ、

寝付けないことの辛さが重複で、二重苦です…。今。


窓の外、冷えた空気の向こうに見える景色は、

朝の一番の光が姿を現そうとしています。

その闇のカーテンの下の隙間から

漏れている赤と青と黄色のグラデーションは、

モロッコのサハラ砂漠の真中で見た、どこまでも続く砂丘の夜明けを思い出させてくれました。


ブッダとこの時代背景はあまりにも悲しい。

僕はとても心を痛めます。


人はどうして生きているのか?

人はなぜ死ぬのか?

人の悲しみはどうして訪れるのか?

どこから来て、どこに帰るのか?

自分とは、ブラフマン(真我)とは何か?

真理とはどこにあるのか?


僕らはこういった漠然とした宇宙的疑問を時々持ちます。

少なくても僕は。


これらはある程度、ヨガを学問的、また宗教学的に学んでいくと

なにかしらの答えにたどりつき、

ある段階で、瞑想などを繰り返すことや、あるきっかけで

答えと遭遇することはできると思います。

でも、それはいつもではないし、いつも答えを持ち続けなくてはならない。


明るくなってきた。

20代、こういった事ばかり考えてきたけど、

最近、自発的に考えることが少なくなっていた自分にも、

今気がつく。


ブッダをあと5冊、読み終えてから、寝るか、今寝るか…。

それが今の僕の見つけなくてはならない、答えだ。


おはよう。



ハシムラノブヤ