東北歌声喫茶を振り返る① | 橋本志穂の部屋

東北歌声喫茶を振り返る①

今日は、酒枯れしたクラブのママみたな声の私。。
さすがに、歌い過ぎだねーべーっだ!

体も筋肉痛で、疲れがドーっと出てるのに
すごくさわやかな気分です。

震災以来、避難生活を送ってる人たちに
歌声を届けたいーと、目標にしていた私たち。

主に東京で開催していた歌声喫茶で集まった
支援金を元手に
宮城県7か所で、歌声喫茶を開店できたのです。

橋本志穂の部屋-メンバー

1泊2日の旅ですが、
中にはどちらか1日しか参加できないメンバーも。。。

写真は2日目のメンバー。
1日目は、オペラ歌手の中西勝之さんもいたのですが、
何しろ、歌声がキレイで、男前だから、
被災者のお母様方から人気でー。。。
中西さんに歌って欲しい~というリクエスト殺到ビックリマーク

橋本志穂の部屋-中西勝之さん

2日目にいなくなるのが残念だったくらいです。

リクエストといえばー
毎回、大いに会場を沸かせてくれた二人。

清水よし子さんの小唄&三味線

橋本志穂の部屋-清水よし子さん
被災者の皆さんに「がんばれー!!と声援を送られ・・・。

また
「日本にたった47人しかいない講談士の中でもさらに数少ない
女性講談士。その女流講談士の中でも
一番美しい・・・着物を着てきましたーにひひと、笑いを誘いながらも
見事なまでの1分講談を披露してくれた神田きらりさん。

橋本志穂の部屋-神田きらりちゃん
あまりの素晴らしさにリクエストを受け
『講談人生でリクエストもらったのは
初めてー』と、思わず感涙涙

感動を忘れないよう
被災地への思いが風化しないよう
私が心を打たれた、被災者との対話をつづります。

七ヶ浜の仮設住宅地に設けられた
野外ステージでお話ししたお母さん。。。

「震災以来、初めてココにきたわ。
あそこに瓦礫が見えるでしょ。私んちはあそこにあったんよ。
全部、流されてしまったわ」と。。

青々と草が茂った美しい高台の野外ステージは
後ろを振り向くと、海がすぐそこに見えました。
美しい海岸線とは対照的に、
ガレキの山が築かれた海沿いの町は
家の土台すら残らないほど、無残に流されていたのです。

そこに住んでたー
と、私に教えてくれたお母さん。。

これまでは、無残な姿が広がる、その高台に
来れなかったといいます。

「苦しい、悲しい思い出しかなかったこの景色ですけど
これからは、私たちひとつになって、
大きな声を出して歌い、笑ったこの楽しい時間を
思い出に。。。つらい気持ちを乗り越えて、せいいっぱい
生きぬいて欲しい」と、握手をして別れました。

その時のお母さんの笑顔
忘れません。


最後に「ふるさと」を合唱した時に
お母さんの思いを重ねてー
なんだか、とても苦しくなりました。



私なんか、
実際に被災した方々のご苦労や悲しみ、苦しみについて
簡単に語るなんておこがましいと思っているし
「可哀想だ」と同情して涙流すのも
逆に失礼だと、とにかく笑顔と元気を届けてこれたらーと
思って向かった東北ですが、

毎回、
毎ステージ
出会う方々との会話の中に、
どうしても、涙をこらえきれない場面に出くわしました。

ガマンして、笑顔で別れ
バスで移動中に大泣きして
化粧もめちゃくちゃにはがれおちてー
それでも次のステージでは
元気な笑顔でみなさんと会おうーと。。。
メンバーみんなが
そうやって歌ってきました。

この活動は
これっきりではなく、
これからも続けていきたい。

続けていける
そう思える強力なスケットもたっくさんいらっしゃいます。

次回は、その、頼れるスケットや
他の仲間たちについて書きたいと思います。