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「避難民」と名付けられて——『完全避難マニュアル 東京版』評

初投稿です。


11月に開催されたフェスティバル/トーキョー(略称F/T)という舞台芸術祭で僕がせっせと参加していた演劇プロジェクト『完全避難マニュアル 東京版』(http://hinan-manual.com/)についての批評めいたものです。


大学院の「舞台制作プロデュース論演習」という授業の「F/Tについてレポ―トを書け」という課題で書いたものです。

提出が確か12月15日で2週間ほどしか経っていないはずなのですが、それでもこのレポ―トはすでに若干古くなっているように感じられます。



11月で会期が一応終了しているのでタイムリーでないのは当たり前と言えば当たり前なのですが、参加者たちのこの作品への視線はまだまだ変化の過程の中なのだろう、という実感が強くあるからです。



と、前置きはここまでにしましょう。

特に避難民(『避難マニュアル』の参加者)に発信をしたくてアップしますが、会期中に参加できなかった人たちからも話が聞きたいです。


ご意見頂ければ幸いです。





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 「避難民」と名付けられて——『完全避難マニュアル 東京版』評



・はじめに

 

 2010年の11月、私は「避難」に明け暮れていた。『完全避難マニュアル 東京版』に参加し、「避難民」としての一ヶ月を過ごしたからだ。

 

 『完全避難マニュアル 東京版』は山手線を使った壮大なゲームである。参加者はウェブ上の公式ホームページからの情報をもとに、山手線各駅の近くに設定された避難所を訪ねることになる。原則的に、その避難所に何が待ち受けているのか、事前に知ることはできない。現実世界に存在するその場所を実際に訪ねてみることによってのみ、その謎は明かされる。

 

 主催者であるPort Bは今回のプロジェクトでこのような仕組みを作り、それをアーキテクチャという言葉で表現していた。アーキテクチャとは建築や思想の世界で使われる用語で「人間の行為を制限・誘導するもの」というような意味がある。設計思想、とも訳されるアーキテクチャの最も単純な例は壁である。壁があれば、人はその先に進む事が出来ないため左右どちらかに曲がる。この場合、「壁」というアーキテクチャが「曲がる」という行動を誘発した、と見る。『完全避難マニュアル』においてはウェブサイトがアーキテクチャとなり参加者を「避難」という行為に駆り立てた、ということが出来るわけだ。

 

 しかし、『完全避難マニュアル』を演劇作品たらしめているのはウェブサイトというアーキテクチャの働きだけでは無いと私は考える。情報をウェブから得て現地に行くだけでは、そこには演劇的状況は発生しない。そこで私はこの作品のもう一つの要素をアーキテクチャと言ってみようかと思う。その要素とは「避難民」、つまり私たち参加者に与えられたこのゲームにおける「役割」である。

 

 『完全避難マニュアル』が他の演劇と一線を画すのは、観客が自ら「避難」をしてゲームに参加する点にあった。この文章の中では、いくつかの側面から「避難民」を見てみることで「この作品に参加する」とはどのような事だったのか、その課程で必然的に生まれる「避難民」という役割はどのようなものだったのか、これらの事の検証をしていきたいと思う。

 

・ゲームの参加者としての「避難民」

 

 『避難マニュアル』を人に説明すると、しばしば「スタンプラリーみたいだ」と言われる。確かに、『避難マニュアル』にはスタンプラリーのように未踏の避難所を訪ね続ける、というような楽しみがあった。多すぎず少なすぎない避難所の数、いくつかの避難所を訪れるために必要な「パス」と呼ばれるアイテム(避難所で入手できる)、などの特長はそれこそRPGゲームのように楽しむための要素となった。またそれぞれの避難所には、ウェブ上で「異空間度」や「アクセス難易度」が記されていて、参加者の挑戦欲をそそる。実際、私も色々な予定をやりくりして設定されている全ての避難所を訪ねた。

 

 それぞれの避難所はそれまで知らなかった「東京」を発見することが出来るため、いくつか避難所を回っているうちに「(ウェブの情報があれば)私は次々に未知の世界を知ることが出来る!」というような、まるで自身がレベルアップしているかのような快感もあった。その行為は誘導されたものであるにも関わらず。

 

 これらの「ゲームのプレイヤーとしてのお楽しみ要素」は私を含む多くの参加者を「避難」させ続け、「避難民」の役に留まらせ続ける大きな力であったのだと思う。

 

・参加証としての「避難民」

 

 では、実際に「避難所」を訪れているとき、私たち参加者はどのような事になっていたのだろう。

 

 いくつかの避難所は、東京の中で少し特殊なコミュニティが形成されていたり、それまでに出会ったことの無い他人が待ち受けていたりした。私たちはそこにいる初めて出会う人々とやりとりをする。しかし私たちは全く無防備の、裸の状態で彼らと出会う訳ではない。「避難民」として出会うのである。

 

 今回アーキテクチャを設計した濱野智史も「システムに誘導されて初めて出会うような他者など、そもそも本質的に他者とはいえないはず」と書いているが、私たちを導いてきたシステムはそれぞれの避難所において、私たちに対処法を与える。すなわち「避難民」という立ち位置・居場所である。

 

 本来であれば、ろくにその場所の概要も知らない私たちは、そのコミュニティにとって招かれざる客であり、異邦人、外部の者である。そこへ「避難民」という役割を楯にズカズカと入っていく。見方によっては、これほど過激なシステムも他にない。「避難しに来ました!」「避難民です!」と言えば良い、すぐに客として迎えられる。この軽い儀礼によって、とりあえず私は「避難民」としてその「避難所」に居ることが出来る。その一時的な場においての「避難民」という役割に収まることが出来る。

 

 とはいえ、当然私はそのコミュニティの内部になるわけでもない。そこでコミュニケーションをするのは現実に存在する私と他者である。そこにいる他者に対して、私は演技をする。自己紹介をしたり、質問をしたり、観察したり、相手の考えを読み取ろうとしたりする。しかし、そうした身振りでさえ「避難民」という名札が可能にしたことである。その名札が無ければ私は自分をどのように表現しただろうか。

 

 このことはある問題を提示する。それは、そのコミュニティに対して私たちは「避難民」という立場を脱し得ないのではないか、という問題である。「避難民」としてその場を訪れた私は、そのことで一時的に(彼らと対峙する最初の瞬間では)自分を守ることが出来たが、その役を彼らの前では脱ぎ去ることが出来ないのではないか。少なくとも、私は会期中にそれを脱ぎ去ることが出来無かったように思う。何度か訪れた原宿の避難所でも私は「避難民」的役割に徹していたし、会期外に訪れた避難所でも『避難マニュアル』についての説明をしたりしていた。「避難民」としてではないコミュニティへのアプローチの可能性を「避難民」が見つけること、それができないうちは「避難民」という役割に頼らざるを得ないのかもしれない。それを拒否するために、私が「私」と名乗るために、私は「避難民」を脱がなければならないし、それ以外の在り方を探さねばならない。

 

・フレームとしての「避難民」

 

 多くの「避難民」は独自の「避難」を経験している。例えば、設定された「避難所」ではない言わば「間違った避難所」を訪れてしまったがその場の風景を眺め思索に耽り帰路についた者、フェスティバル/トーキョーの他のプログラムを観てそこに「避難」とのリンクを発見する者がいた。

 

 これらの「避難」を発生させたものは何だろう。それはおそらく、自分が「避難民」であるという自意識、あるいはそれまでの「避難」の経験によって得た「避難的」なものの見方(フレーム)がそうした経験を生み出したと私は考える。渋谷や有楽町の避難所は、地図を持って町を歩くことにより町の見え方が変わってくる、町の中に新たな発見をするという仕掛けの避難所だった。これと同じ仕組みで、「避難」という経験があちこちに延長される、つまり「避難所」の外でも「避難」が起こりうる可能性は充分にある。「避難」という演劇は日常/非日常の境を越えてあちこちへと拡張された。

 

 こうした本来のルールから見れば特殊な「避難」体験は、会期の中盤以降に多く報告されるようになった。会期後半では参加者同士の情報交換が増えた、という事情もあるが、おそらく「避難」初期の「避難所」のみを重視する参加の仕方から、その道中や帰り道にも意味を発見し「避難」とするような参加の仕方への移行があったことが大きいだろう。

 

・「避難民」コミュニティについて

 

 先ほど少し避難民同士の情報交換について触れたが、会期が進むにつれて、明確に「避難民」同士の交流が増えていた。それは、例えばツイッター上のハッシュタグ「#hinan」を付けてつぶやかれる短い文を見たりそれに反応したりすることであったり、神田や代々木などの各避難所で偶然顔を合わせることによるものだった。中でも「パス」を三枚集めた参加者が訪れる恵比寿の避難所では、秘密性のある「避難所」の内容を知っている仲間同士の連帯感からか、本来他人であるはずの参加者同士に多くの交流が生まれた。特に「○○○さん(ツイッター上の名前)ってアナタですか!」というようなネットとリアルを結びつけるオフ会(ネット上で知り合った人々が現実世界で集う会合)的発言が目立った。こうしたやりとりはネットとリアルのどちらの世界でも既にあちこちで出来上がっていた交流をより強固で広域なものにした。

 

 交流の経路が一つではないこと、そして、「避難所」を知っている、という共通項の強力さはその内外から「避難民コミュニティ」と呼ばれるようなものを作り上げた。そこでの交流は先に挙げた「避難民」の特長をさらに加速させていったように思う。多くの「避難民」が自らの「避難」を報告し、共有した。やがて、こうしたコミュニティの成熟に対応するかのように、各々の避難民による作品としての『避難マニュアル』への批評が始まった。私がこの文章に記していることも、そうした「避難民」たちの言葉を読み、考えた末の言葉であり私一人の思考や気づきではない。

 

 何人かの「避難民」から指摘があったように、確かに「避難民コミュニティ」にはある種の閉鎖性があった。知る人ぞ知る「避難」がその絆の一つであるため、そのことは必然的だったようにも思われる。そして、その閉鎖性を嫌い「避難民」であるにも関わらず「避難民コミュニティ」には距離を置いていた人々がいたのも事実である。

 

 それでは「避難民たち」の他の在り方はあり得たのだろうか?もっとオープンな、誰もが閉鎖性を感じないコミュニティはあり得たのか?私は、ここで問題になっている「避難民」から見た「避難民コミュニティ」は実体というよりも概念の側面が強かったのではないかと思う。そもそも特に参加資格などのルールが無いコミュニティの場合、重要なのは自分が属している/いないの自意識だけであり、コミュニティとはそこによってのみ、全体と個を区別するための輪郭を描けるのではないだろうか。コミュニティに対し内部となるか外部となるか、あるいはその両方を行き来するかは個人に託されたものであり自由な選択である。その選択の違いで必然的に閉鎖性は生まれる。おそらく、外部から見て閉鎖性の無いコミュニティなど一つもない。あるコミュニティと出会い、それを無視しないのならば、私たちは選択をしなければならない。その選択の道筋や方法を「演技」と呼ぶことが出来るのかも知れない。この考えは「避難民コミュニティ」だけではなく、それぞれの「避難所」に対しても応用できるものだと思う。

 

 

・終わりに-「避難民」の今後

 

 先日、「避難民が避難スタッフをねぎらう会」という催しを企画・実行した。読んで字の通り、『避難マニュアル』の参加者がそのスタッフをねぎらう集まりだ。正直に告白すれば、最初は小規模な飲み会程度のつもりだった。ところが、次第に協力者が増え、アイデアが集まってくる内に、「避難民」の手で新たな「避難所」を作ろう、と思った。用意された「避難所」を巡るだけの「避難民」の在り方を変えたいという気持ちもあったが、「避難民」たちの不思議な交流やその盛り上がりを見たことによる、「避難民コミュニティ」を「避難所」として設定することが出来るだろう、という確信に背中を押されたのだと思う。協力者(「ねぎらう会」スタッフ)により、地図や特設ページが『避難マニュアル』本家を真似て作られ、当日は50人を越える人々が集まった。

 

 「ねぎらう会」は試みとしては成功したように思える。しかし、結局の所、その場でどのように振る舞い、それをどのように消化(昇華?)するかは、各々に委ねられている。それだけでなく、今後も「避難民」で居続けるか否か、これからも「避難」をするか否か、といった選択は「避難民」経験者としての私たちにつきまとう。『完全避難マニュアル 東京版』は私たちに「避難」の経験を植え付けることにより、こうした形で今後も参加者に様々な選択を問うことになった。