ある陶芸家の死
12月の初め突然懇意にしていた陶芸家の遺作展の案内が来て大変驚きました。毎年夏は大阪、冬は京都の高島屋で展示会販売があり夏に行けなかったので久し振りに京都に行こうかと思っていました。彼は徳島県で小学校の廃校に工房を持っていました。私が初めて彼のお皿を買ったのが1986年。今はあるかどうか分かりませんが月刊『太陽』という雑誌に彼の作品が出ていて一目惚れ。売っているギャラリーもたまたま近かったので買いに行きました。その頃はまだ高島屋以外で買えました。それから約40年。彼の目指していたのは、陶器は毎日使って楽しむもの。飾って眺めるだけのものではない。毎年何か新作を考え本当に作ることを楽しんでいるようでした。ビールの泡立ちが違うカップ、なんとも不思議な花器、納豆がよく混る小鉢、ずっと以前NHKの朝の連続テレビ小説の小道具に彼の陶器でできたラジオが移っていたように思います。需要がなかったのか2作目を作ったという話は聞きませんでしたが。今年になって、今から思えば生き急ぐように本当にいろいろチャレンジしていたように思います。ラインを通して逐一送ってくれました。柏崎でのイベント、広島でのイベント、徳島では浄瑠璃人形??とコラボ。人形の舞う姿、陶器、音楽、余程楽しかったのか何枚も何枚も。最後にもらったラインはアカショウビンの鳴き声でした。『朝からアカショウビンが鳴いています。海陽町は自殺が全国一少ない生きやすい町だそうです』というコメントと一緒に。座右の銘でしょうか,「長樂未央』と書かれたお皿を貰ったことがあります。この歳でこんな事いう??人でしたのに。100歳まで生きると思っていました。ドナルドキーンと親交が深かった彼はキーンの骨壺を作ったと話してくれました。私のもお願いしたのですがそれもかなわぬ夢になりました。夜寝て朝起きたら亡くなっていたそうです。友人と彼らしい最期だねと話しました。 南無合掌