サラリーマン政治家 | 元文京区議会議員 橋本直和 オフィシャルブログ

サラリーマン政治家

「末は博士か大臣か。」
かつては優秀な子供には大人がそんなことを口にしていました。
私が子供だったころ、市民のため、国のために働く政治家はとてもカッコ良く映り、みんなが将来なりたい職業のひとつに政治家は当然のようにありました。
そんなカッコ良い存在だった政治家は、汚職や政治腐敗などからカッコ悪い存在へといつからか変貌を遂げてしまいました。
尊敬や敬われるべき存在である国家のトップである総理大臣までもが国民やマスメディアに罵倒される始末です。

政治家に対してどの様な印象を持っているのかを一般の人に聞けば「金に汚い」と大半の方が答えると思います。
ロッキード事件など政治家が起こした「お金」にまつわる汚職事件はもとより、金に物を言わせて政治を動かしてきた政治家の存在が「金に汚い」イメージを強く印象付けてしまいました。
そんなイメージ付けに大きく貢献してしまったのが小沢一郎さんでしょう。
「豪腕」と呼ばれた、金の力を全面に押し出した強権的な政治手腕はもちろん、最近では政治資金に関わる個人的な事柄が国政で議論されたり、つい先日に至ってはご自分の奥さんの告発文を週刊誌や他の国会議員に公表されてしまう始末です。

そんな小沢さんが消費税増税法案への反対から民主党を離党して、新党を立ち上げることから俄然注目を集めています。
「増税の前にやるべきことがある。」といった理由から離党した小沢さんでありますが、何をやるべきか全く語られておらず、この国をどこへ持っていこうとしているのか私には理解できません。
お金に加え家庭でもトラブルを持っていて、さらには明確なビジョンを語っていないような人に着いて行く人は普通の社会人であれば誰もいないでしょう。
しかし、国会議員という人種はそんな状況でも同調する人が居るようです。
はっきり言って、政局ではなく選挙しか頭にないのでしょう。
国会議員たるもの政治家という職が何のためにあり、どの様な立場に置かれた職であるのかを理解したうえで全うしなくてはなりません。
民によって選ばれた彼らが現在取っている行動は利己的であり、本来民のために尽くすはずである政治家の本質とはかけ離れてしまっています。
彼らの姿はまるで、どんな事柄であろうと上司から言われれば、すべて聞き入れることしか出来ない、給料のためだけに働いている悲しいサラリーマンのようです。

「菅から民へ」「官僚主導から政治家主導へ」と既成概念に逆らうことを宣言し、国民の支持を得て政権を獲得した民主党。
大きなマニフェストを掲げるからにはそれ相応の覚悟、そして達成できないからには対価を払うのはあたり前だと国民の皆さんは思っていたと思います。
しかし、政権交代からもうすぐ3年が経った今、出来ないことへの弁明は言い訳ばかりでマニフェストへの責任感など全く感じられません。
彼らは対価など払う気持ちなど毛頭なく、一方で次の選挙で有利に働くようなことには達者である有様です。

彼らが目指していたもの一体何だったのでしょうか。
ただ自己顕示欲を満たすためだけに政治家になったのでしょうか。
私には民主党の議員が何を考えているのか全く理解できません。
人生において挫折や葛藤を伴ったとき、人は覚悟というものは身に付きます。
塾に行って真面目に勉強して、良い大学に入って、良い企業に勤めていたエリートであればあるほど、失敗を恐れてリスクを負わないような行動や発言に終始勤めている、覚悟の無い「サラリーマン政治家」になってしまっている気が致します。

一生懸命働いている方々を批判する訳では決してありませんが、政治にはサラリーマン的な考えを捨てなくてはなりません。
このような「サラリーマン政治家」を大量に排出してしまったのは他でもない国民です。
テレビや新聞などで学歴の高い人が言ったことだから間違いないといったように、影響力があり自分より地位などで秀でている人に簡単に同調してはいけません。
どんな天才であっても、どんな多数派であっても間違えは起こりえます。
国民の皆さん一人ひとり自分自身で物事を考えることが最も大事であり、そうしなければ政治は変わっていかないでしょう。