<児童虐待>過去最多248件 今年上半期摘発  毎日新聞 2012年9月6日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120906-00000025-mai-soci

つらい現実だが、何とかしなくてはならない身近で緊急な問題である。

このようなTV報道の解説では、現場で支援活動に取り組む方々が出てこられることがあるが、短い時間の中でも現場の大変さや困難さを訴えてほしいと思うのである。

虐待支援現場においては、虐待が発覚した後も、加害側の親と虐待を受けた子どもの接触を断つことが難しく、親と支援者側の壮絶なやりとりがあるという。

虐待を繰り返す親は、子どもが嫌いで、子どもがいらないから虐待するんじゃないのか?と思われ方もいるかもしれないが、そういうことではないのだ。

虐待事件において、加害側の親は虐待した子どもに並々ならぬ執着を持つことが知られている。
子どもを離そうとする支援者側に対して、その親から暴力行為や嫌がらせを受けることもあるのだ。

虐待問題は、ただ親から子どもを離すことだけで終わらず、虐待に向かってしまった親のカウンセリングや治療など、そして虐待をうけた子どものケアが長期間にわたり必要なのである。

その理由として、以前子ども病院で発達の研究をしていた時に、小児の脳神経を専門とする医師から、虐待を受けた子ども達の脳の異常に関する米国の臨床報告を聞いたことがあった。
被虐待児の「海馬」と「扁桃体」の発達の影響に関することだったかなと思い、あらためて調べてみた。

子どもの虐待と脳の発達への影響に関する研究者では、米国のDr.Martin H. Teicher(ハーバード大学准教授)の研究文献がネット上でたくさん見つかる。
また昨年あたりから、Martin H. Teicherは、日本の研究者と共同研究もしているようだ。

関連する日本の文献をあげてみる。

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柏原恵龍「うつや虐待による脳障害、そしてニューロン再生の可能性」関西外国語大学研究論集第83号(2006年3月)
http://opac.kansaigaidai.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.UTF-8/DB00000168/Body/r083_11.pdf


子ども時代に心的外傷(トラウマ)を負った患者の54%に脳波の異常が見られたが、これは虐待されていない患者の27%と比べて明らかに高かった。さらに深刻な身体的虐待や性的虐待を受けた人たちの72%に脳波の異常が発見され、異常は前頭葉と側頭葉で生じていた。この異常は左半球だけで、右半球には見られていない。
MRI(磁気共鳴画像法)を使ったその後の研究で、子どものころに虐待を受けた人では、海馬が小さくなっており、扁桃体も同様に小さくなっていた。


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伊東ゆたか「高頻度に認めた被虐待児の脳波異常についての検討」東京女子医科大学雑誌, 63(10):1222-1229, 1993
http://ir.twmu.ac.jp/dspace/bitstream/10470/8835/1/6310000009.pdf


虐待を受けた子どもでは受けない子どもに比べ一般的脳波の異常率が3.1倍高く、BEAM(脳電位分布図?brain electrical activity mapping)での脳波,周波数分析結果を合わせた脳波全体の異常率では3.6倍高いことを認めた。
心理的虐待を受けた子どもの脳波異常は左半球のみに有意に多かった。虐待を受けた小児では左半球の機能障害を伴っており,その結果,右半球への機能依存がより大きくなるであろうことが示された。


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大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 生理学研究所 NIPS
日米科学技術協力事業「脳研究」分野 グループ共同研究実施報告書
『児童虐待に代表される小児期のストレスが脳発達におよぼす影響と敏感期解析』
http://www.nips.ac.jp/jusnou/group/pdf/2011/23_tomoda.pdf

身体的虐待や精神的虐待(暴言虐待や両親間の家庭内暴力暴露)などの不適切な養育が子ども達の健全な「脳の発育・発達」にどのような影響を与えるか.
「暴言虐待」では、コミュニケーション能力に重要な役割を持つ聴覚野で大脳白質髄鞘化が異常をきたしたりすることが明らかになった。
「両親間の家庭内暴力暴露」では、最初に目に映った情報を処理する脳の視覚野で脳の容積が減少していることも明らかになった。

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以上に関係する、Dr.Martin H. Teicherの、非常に興味深い論文はこちらで記事を購入することができる。


『児童虐待が脳に残す傷』日経サイエンス2002年6月号 Scars That Won’t Heal : The Neurobiology of Child Abuse(SCIENTIFIC AMERICAN March 2002)
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0206/abuse.html?PHPSESSID=2ed5acc1ab071c75ee65f2d6caa2b21c

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私は脳の構造のことは詳しくはわからないが、上記のようなDr.Teicherらの研究結果をみると、どうやら子どもの頃に虐待を受けると、脳の発達に何らかの影響が出るということは間違いなさそうだということが分かる。


そして、特に左半球に脳波異常がみられるということがほぼ明らかになっている。脳の左半球は言語に関する優位半球と言われている。そういうことであれば、虐待を受けて育った子は、言語面の問題がでるという可能性がある。話すことや、聞くこと、言語記憶や他者からの言葉の理解などへの影響があるということか。


これについては、左右の大脳半球の発達の違いが目立ったようだ。虐待を受けた子どもは辛い出来事を右半球(視空間情報の処理や情動)に記憶してしまって、思い出すことで右半球をより活性化してしまうという。
さらに、左右の大脳半球の統合が上手いこといかないらしい。左右を橋渡しする脳梁が小さいため、左右の大脳半球の統合がうまくいかないということだ。
そのため、左優位から右優位の状態に突然に移りやすくなり、左右の優位性が変わると同時に、全く異なる情動や記憶が生じる。

そのせいで、友人や家族、仲間たちに非常に親しげに接したかと思えば、手のひらを返したように反抗的な態度をとるようなことが、虐待を受けた子どもにはしばしばみられるという。


優位半球の突然の入れ替わりがこの特徴を生み出す、ということなのだが、実際に私もスクールカウンセラーをやっていた時に支援していた子どもの「手のひらを返したような」態度を経験したことがあった。理解が困難だったが、この仮説でスッキリ納得した。


さらに虐待を受けた子どもの海馬と扁桃体が小さいなど、この部分の異常も間違いなく見られている。

記憶と情動(特に抑うつや興奮性、敵意の感情に関係している部位)に影響が見られ、幼い頃に虐待されて育った人が反社会的行動に出ることや、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や境界性人格障害、解離性同一性障害(多重人格)などのような精神障害が大人になって出るのはそのせいだという。


子どもを虐待してしまった親も、子どもの頃に虐待を受けた経験がある人が多いと聞く。
加害側の親にも、十分なカウンセリングと治療が必要だということだ。
そのようなことであれば、加害側の「親が悪い」と言うばかりでは、何ひとつ救われないだろう。


Dr.Teicherは「虐待による脳の変化は厳しい世界を生き抜く”適応”」という仮説を立てて、私たち社会に警告する。

過度のストレスが、さまざまな反社会的行動を起こすように私たちの脳を変えていくらしい。
ストレスとなるものは、大きなことでは戦争だったり、身近なことではいじめなどがあろう。


そしてそのようなストレスに曝された子ども達の脳は「他人の不幸を喜ぶような冷酷な世界でも生き抜けるように”適応”する」のだという。


それによって「暴力や虐待は世代を超え、社会を超えて受け継がれていく」という。これがすなわち、虐待の連鎖、である。


これを何とか絶つ方法としては、私は”学校教育”の場が非常に有効なのではないかと考えている。


虐待の発見、通報、保護などを、学校現場ではすでに多くやってきている。しかし「もし間違っていたらどうしよう」「家庭の躾に口出せない」などということが足かせとなって、なかなか表に出せずにいる教職員の方々もきっといるだろう。


子ども達には学校しか行くところがない。学校がきちんと機能していれば、学校ほど安全な場所はない。そして学校は子どもにダイレクトに関わることができる。


虐待を受けている子どもを救うことができる場所は、今の日本の制度においては学校が重要な位置にあると思っている。


日本社会は、もっと教育の力を信じたほうがいい。教育は素晴らしいものだと、国をあげて推奨すれば、教職員も素晴らしく成長するだろうし、保護者も期待するだろう。


今の日本は、国会や政府をみても企業をみても、殺伐としすぎてないだろうか。
すでに、日本は人々に優しい社会ではなくなっている。


連日の虐待報道やいじめ報道で、国民全体で弱い者を救う社会を作っていかなくては将来この国が取り返しがつかなくなるような思いがしてならない。