ここで「発達障害」という用語をきちんと整理しておきたい。


「東京都神経科学総合研究所」のサイトで、わかりやすく4つの分類にまとめてあるので引用する。http://tmin.igakuken.or.jp/medical/13/develop1.html


1) 知的障害(精神遅滞と同意、本稿では「知的障害」に統一)
2) 幼児早期の言語や運動発達の遅れについての暫定的診断名、
3) 全ての発達期の問題(知的障害、脳性麻痺、重症心身障害を含む)
4) 認知・コミュニケーションの障害(自閉症/広汎性(こうはんせい)発達障害、注意欠陥・多動性障害ADHDなど)


私が受け持っていた病院でのケースは、
1) 知的障害(精神遅滞と同意、本稿では「知的障害」に統一)
2) 幼児早期の言語や運動発達の遅れについての暫定的診断名、
3) 全ての発達期の問題(知的障害、脳性麻痺、重症心身障害を含む)
以上の子ども達のケースが多かった。めずらしい遺伝子疾患など様々な心身の障害の子どもが含まれていた。


しかし、学校現場や一般に私がこのブログやTwitterでこの用語を使用する時は、
4) 認知・コミュニケーションの障害(自閉症/広汎性(こうはんせい)発達障害、注意欠陥・多動性障害ADHDなど)
こちらであり、一般的に成人発達障害を述べる時は、ほとんどがこの障害を意味していると思われる。
これは特別支援教育が施行されるにあたり、教育定義として文科省から学校現場によって普及されたものであると考える。


発達障害という概念はこのように医学・教育・福祉定義があって、専門家でもよく混乱する。だから議論するときも、あらかじめ前提をはっきりさせておく必要がある。

このように幅があって広く用いられている診断名は他にもあるのだろうか。
私は医師でないのでわからないが、診る人によって診断や治療が変わるような障害名は現場を混乱させる。


この部分をよく理解していないと、専門診療科でない医療現場では誤診をする可能性がある。
以下例を挙げる。

まず私がいた病院で、小児神経科医師が「学習障害(LD)読みの障害」と診断されたが、あまりに見え方が悪いため、神経眼科の専門医に診てもらったら「視覚障害」が見つかった。
特殊な眼鏡を作り視能訓練で見え方や読みの困難が改善した。

次に、幼児期に「脳性まひ」と診断されたが、お母様がどうしても納得がいかず、様々な専門医療機関での診察と治療教育を受けながら、私のいた病院でもはっきりしない脳の機能障害として継続して診察と検査をうけていた。
その時にだんだんと発達障害という概念が普及してきて、青年期に「もしかして広汎性発達障害(アスペルガー症候群)があてはまるのでは」と、小児神経科医が結論をした。

この2つのケースのように、どちらも高名な小児科医たちの診察だったが、このように分からなかったり、間違えたりすることがある。

発達障害の診断は、広範囲に疑いをもち診察と検査をやらないと、確定診断はなかなか難しいということだ。

この診断定義の問題は、先日私がTwitterで、以下のように発言して「どういう意味か」という質問をいただいたことに対する答えになる。


「引きこもり30年」でアスペルガーの確定診断に意義あり。大人になってからの発達障害の診断は推測に過ぎない。裁判官は引きこもりは発達障害で治らないという単純思考か?→ 姉殺害に求刑超え懲役20年判決 発達障害で「社会秩序のため」 
http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012073001002297.html
posted at 02:32:52 2012・07・31

判決で、引きこもり=コミュニケーションの障害=発達障害


というような論の展開になり、それが量刑が重くなった理由ということであれば大変なことだと思ったのだ。
量刑が軽くなったのではないということは、この障害をかかえている者は、社会に受け入れられないということになってしまう。


裁きの場であれば、その診断の根拠がきっとあるのだろうが、医療現場でも混乱するような障害をどうやって診察したのかが気になるのだ。


発達障害の鑑別診断は専門医師でも一人では不可能だ。
発達に精通した心理判定ができる人間もいなくてはならない。
このような専門家が司法の現場にいるのだろうか、という疑問を私はもったのだ。


そのような理由で「推測に過ぎない」と私は発言したわけだが、この発言に当事者の方々が疑問をもたれたようだった。


自分が支援をしてきた子ども達が成人になっていく時に、成人発達障害の方々が不利になるような発言や決定はしたくない。そんなことは、自分の首をしめるようなことと同じだ。


発達障害のみならず、障害をかかえている子ども達や家族の方々の支援のために議員になろうと決意した。
障害や病気は、「明日は我が身」なのである。
それは自分に関係してみないと、実感としてなかなか分からない事である。


多数の人間の声は大きい。しかし少数の人間の声は小さく聞こえず伝えられない。そのようなことを代わりに行政へ訴えていく人間が必要と感じたのだ。


当事者の方々には、批判ではなく意見や要望をどんどん言っていただきたい。
本当に必要としている行政サービスとシステムを、皆さんと一緒につくっていかねばならないと考えている。


(続く)