Twitterで発達障害のことにふれると、フォロワー以外の方々からの反応が多く、このことについては、それぞれの立場の方々の様々な思いがあることがうかがえた。

成人発達障害に関する発言をしたことで、「あなたは何をどう考えているのか」というような問いがいくつか見られた。
ある意味その問いは、私が何故議員になったのかということに関係してくるので、短文ではなく、時間をかけて表明していこうと思う。


私は文章の専門家ではない。回りくどい書き方になってしまうが、自分自身の過去の整理のため、本題に入るまで少々長ったらしくなるのをご容赦願いたい。


まず、私の医療現場における発達障害児への臨床経験から書こうと思う。


病院の臨床研究員だった時には、いくつかの診療科の業務を担当していた。


およそ1400人ほどの母子に対してコホート研究という形でその病院で生れた子ども達の発達検査を担当。


そして、小児神経科医や児童精神科医からオーダーを受け、外来診察にくる発達の問題を抱える子の鑑別と相談。


さらに、耳鼻科医からも依頼を受け、ことばの遅れのある子どもに対して、聞こえの問題か発達の問題なのかなどの鑑別、難聴のある子に人工内耳が適用できるかを発達の問題の程度を検査。


これら経験してわかったことは、なかなか教科書通りの症状がピタッと当てはまる子どもはいないということと、治療教育によって子どもは変化するということだ。


幼児の場合、2~3歳ぐらいでの保護者の気づきと理解は大変重要で、「うちの子は他の子に比べてここが苦手じゃないか」というような気づきがあると、すぐに治療教育を日常に加える事ができて、成長していくにしたがって苦手な部分が薄まっていくという様子が見られた。


この月齢の子への発達検査は、私は「新版K式発達検査」を用いて、医師は神経心理学検査を用いていた。

このふたつを合わせて診断をつけるようなことを行ってきた。


上記の「成長していくにしたがって苦手な部分が薄まる」という表現は、困難な部分がソフト又はマイルドになっていくということ。
なくなるわけではないが、目立たなくなるといえばいいだろうか。


そのようなことから、幼児で発見した発達障害群は、環境が影響して症状に濃淡が出てくるものと考えて来た。


発達障害児への早期介入は、個々の障害の程度や家庭の事情によっては療育機関でなくてもよい。

幼児の場合は、遊びを通して、運動面(微細・粗大)、注意力や集中力、体力、社会性を養うことができる。

こうして、異年齢集団でなおかつ体力がつきそうな集まりに、親子で参加を進めてきた。


困難が目立たなくなった子どもたちと保護者には、その苦手な部分は「障害」ではなく、「個性」という捉え方に変化してくるのも経験した。
もちろんその変化は、決してひとりでにそのような状態になるわけではなく、様々な方法で親子共々に努力が必要だ。


子どもの苦手とする部分を知る上で、検査や診察は有効であったといえる。
その先の支援は親御さんのフォローが中心となる。


このような経験をする中で、青年期を迎えた子どもたち本人か保護者から、連絡をうけることがあった。内容は主に進学か就労の相談である。


この問題は今でも悩んでいる。解決方法はケースバイケースである。
そしてこれらは進路相談・キャリアカウンセリングの領域に入ってくる。


こちらのキャパシティも広げなくてはならない。
実際にどんな学校の種類があるのかを知らなくてはならないし、どんな仕事が求人をしているのか、またどのくらい大変な仕事なのかなど、本人の特性に応じて助言しなくてはならない。


この発達障害を抱える青年期のや成人の方々への助言で私自身が役に立った経験は、専門学校での勤務経験だ。


その頃、ちょうど芸術系とビジネス系の専門学校のカウンセラーの仕事も病院と兼務をしていた。
病院だけではなく、そのような専門学校にも発達障害をかかえる学生がいた。


この時は、双方の経験が役に立った。色々仕事はしておくものである。


しかし、知識がある、経験がある、というだけで、この子たちの支援ができるものではないということを、後に思い知ることになる。


(続く)