前回のけんやとの飲み。
公園で軽く飲んで雨が振りそうだからけんやの家に行ってそこでけんやのお母さんが作ってくれたパスタを食べた所までは記憶がある。
その後記憶が飛んで9時すぎくらいにけんやに家まで送ってもらった記憶がある。
前回の飲みの記憶はほとんど無い。
ただ飲んでから数日たった時に、スマホの契約についてけんやとDiscordで通話する機会があり、スマホの話が終わった後に何となく話していたらけんやから衝撃的な話を聞かされた。
前回の飲みでパスタを食べた後、俺がいきなり泣き出してけんやが何で泣いてるのか聞いても分からないと答えるばかりだったらしい。
それでけんやに膝枕してもらって頭を撫でてもらったと。。。
きっっっっつい。
赤ちゃん返り?
記憶は一切無いけど、その場面を想像しただけで苦々しい気持ちになる。
俺が人前で泣くのって基本嫌な思いをした時だから、多分直前に何か傷つく事があって泣いて、けんやが原因だから何故泣いてるのかも言えなかったんじゃないかなと考える。
けんやが頭を撫でるとかいう行為を行ったのも自分に原因があるのではと薄々感じていたからじゃないかな。
でも一体何をされて俺は泣いたんだろ。
多分けんやが軽くはなった一言なんだと思う。
最近宮台の動画をたくさん見て本当の友達というものについて考えさせられてたから、多分けんやの一言で俺には本当の友達がいないんだなと実感して泣いたんじゃないかな。
ありそう。
まあ逆にけんやの友情を感じて嬉し泣きして恥ずかしいから理由を言えなかったというのも無くはないけど。
真逆すぎるな。
でも真相は闇の中。
やっぱ記憶無くなる飲みは駄目だな~
こういう友情とか家族の愛情とかを真正面から受け止められないで、気持ち悪がったり恥ずかしがったりするのが俺の駄目な所だな。
そんな人から愛情を向けられても受け取れない人間が幸せになれるわけないやん。
何もかもが上手く行き過ぎている幸せな時とかも、気持ち悪さとかむず痒さを感じて離脱したいとか思うよね。
昔何度かそういう経験をした気がする。
1つ具体例を思い出した。
中学1年の時、色んなピースが偶然上手く噛み合って俺の周りが友達で溢れていた時、あの時俺はわざと友達から離れて一人で教室の移動をする事があった。
本仮屋が俺のこと好きなんじゃないかと意味分からん勘違いしていた時も、本仮屋の事を可愛いと思っていたにも関わらず避けたりした。
何で真正面から幸せを受け止められないのか、不幸な方が安心するのか謎すぎる。
ああ。分かった。
多分幸せな程それが壊れるのが怖くなるからだ。
やっぱお前は極度に臆病で心配性で傷つくのを恐れているんだな。
元の精神性がそんなんだからそりゃ不安症になるなんて朝飯前だわな。
もう上手くいって幸せ過ぎるなんて経験する事も無いけど、今そうなってもきっと逃げるだろうな。
俺も至高の幸福を全身で感じてみたいな…
どれだけ幸せで心地良いのか。