台風一過で暑くなる一方の一日
だったが、戦艦 陸奥の主砲が
横須賀のヴェルニー公園
に展示されているので見に行った。
ヴェルニーとはフランス技師
フランソワ・レオンス・ヴェルニー
のこと。
幕府官僚で勘定奉行などを歴任
した小栗上野介忠順
がヴェルニーに依頼し、幕末から
製鉄所の建設を着手。
維新により体制が明治政府に
変わったのちもこの計画は
引き継がれ、明治初期に完成。
これにより日本の近代工業化が
始まった。
製鉄所は後の横須賀海軍工廠
となり、戦後米軍に接収された。
横須賀に行く前に金沢八景で降りて、
食事をしてからにしよう。
いつか会社の人と行った鰻松さんが
良い。約40分、暑い表で並んだが、
その甲斐あって、久しぶりの鰻を
食す。美味なり。
ヴェルニー公園は京急で行くと
汐入駅からが近い。徒歩約10分。
振り返ると積乱雲がもくもくと
立ち上る。夏ですね。
公園につくと戦艦 陸奥の
主砲砲身は展示されていた。
陸奥は大正10年横須賀海軍工廠
で竣工した。
戦艦陸奥の勇姿
陸奥は旧帝国海軍の長門級戦艦
二番艦で、大和武蔵ができる前
まで、日本最大の戦艦であった。
【戦艦 陸奥 基本情報】
基準排水量 39,050トン
全長 224.9m
最大速力 25.28ノット
兵装
(主砲) 45口径41cm連装砲4基
(舷側砲)50口径14cm単装砲18門
砲身は長さ18.8m 重さ102トン
日本製鋼所(室蘭)製
主砲弾 重さ約1トン
有効射程距離30km
夏の雲 兵どもが 夢の跡
(でたらめな句ですみません)
ちなみに引き上げられた陸奥主砲
もう一基は呉の「大和ミュージアム」
にも展示されている。
まさに大艦巨砲主義の申し子のよう
な大型戦艦である。しかし謎の爆発を
起こし、柱島泊地(呉沖)で
乗員1121人とともに沈んでしまった
のであった(昭和18年6月8日)。
この謎の爆沈を取材した吉村 昭
はそれを『陸奥爆沈』の中で
様々な角度から原因を考察している。
当初は三式弾(主砲の弾薬の一種)の
自然発火説、アメリカ軍の潜水艦
攻撃説などを挙げていたが、やがて
乗組員の放火説に傾いてゆく。
案外と軍艦の自爆沈において、乗組員
の放火が日本のみならず、世界でも
ままあったそうだ。
陸奥の場合、「この人では?」という
レベルで調査も進んでいたのだが、
いかんせんその確証を得られず
じまいで原因不明のまま。
しかし昭和18年に海に沈んで
しまったところから、陸奥には
戦後、意外な活用のされ方が
あった。
昭和20年(1945年)の原爆実験や
原爆投下後の大気には放射性物質
が漂い、厳密にいうと地上では
その影響から逃れることが
できなくなってしまうのだが、
陸奥(の鋼材)は水面下で、それに
さらされることがなかった。
結果引き上げられたその鋼鉄は
原子力にかかわる計器の材料
(放射線測定装置の遮蔽材)
に転用される。
それは「むつ鉄」とよばれ、
その筋には重宝されているのである。
鎮魂の碑とともに
隣接するヴェルニー記念館へ。
記念館内には横須賀製鉄所に
据えられ、ついこないだまで
使用されていた
スチームハンマー
の展示があった。
スチームハンマーは鍛造、特に
熱間鍛造の装置である。
館内ビデオで丁寧な説明をいただく。
国指定重要文化財スチームハンマー
3トン 門型 (オランダ製1865年)
平成8年(1996年)まで使用された
スチームハンマー0.5トン(単式フレーム)
昭和46年(1971年)まで使用
日本の近代の工業化を支えた
産業遺産を目にすることができ
感無量である。
これらはあまりに大きく重いので、
ヴェルニー記念館の製作途上で
設置され、そのあと壁やら
屋根やらが取り付けられたそうだ。
ところで夏の暑さを吹き飛ばす
館内の冷房は素晴らしい。微妙に
生ぬるいではなく、ハッキリ
クッキリ涼しかった!
戦艦陸奥の1/100模型
いやはや見どころ満載の
ヴェルニー公園&記念館であった。
帰りJR横須賀線(総武線
快速)横須賀駅から帰ろう。記念館
の目前にあるので徒歩1~2分の近さだ。
あの横須賀線の名前を関した横須賀駅
想像と違い、ド田舎の駅といった風情
横須賀線に4両編成があるのを初めて知る
何だかんだいってこれ一本で
自宅に帰れる便利さは良い。