高橋料理長死す (志摩観光ホテル) | そういえば・・・

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橋本商工株式会社の社長のブログです

何気に見ていたインターネットで高橋シェフの逝去を

知った。高橋忠之・元志摩観光ホテル総料理長。

2019年12月6日逝去 享年77才。

 

 

文庫本 『現代文学の無視できない10人』

(つかこうへい著 集英社文庫)。学生の時に

読んだ本。なんで手に取ったかはもう忘れた。

つかこうへいによる各業界で気になる10人への

インタビュー集なので面白くない筈がない。

 

あらためて目次を見返してみると、

 

萩原健一

阿佐田哲也

小池一夫

島尾敏雄

長島茂雄

高橋忠之

大竹しのぶ

井上ひさし

中上健次

 

アレレ?書いてみて、今頃気づいた。9人しかいない。

本文の前後を見てもなにもない。これは最後の一人は

いちいち書くまでもない・・・ということか。

表紙(カバー)に10人目が描いてありました。

 

このメンバー、多くが鬼籍に入られてしまいました。

萩原健一 (2019年没)

阿佐田哲也 (1989年没)

小池一夫 (2019年没)

島尾敏雄 (1986年没)

長島茂雄

高橋忠之 (2019年没)

大竹しのぶ

井上ひさし (2010年没)

中上健次 (1992年没)

つかこうへい (2010年没)

 

 

多士済々なメンバーへのインタビュー集である

『現代文学の~』。しかしその濃い~メンバーの中で

わたしが一番惹かれた対談が高橋総料理長編であった。

 

15で志摩観光ホテルに入り、下働きを経ながら

29で総料理長に抜擢され、このインタビューの時が

45才。一方つかこうへい38才で、歳の差もあるが

どうもその迫力に圧倒されている。

高橋氏は2001年、60才(59?)まで同ホテルの

総料理長として活躍された。

 

ショーケンよりもミスターよりも圧倒的に面白い

際立つ個性。その後何度も繰り返し読んだものだ。

 

この人を語るのに

『作家の方はいいですね、本にサインができて。

料理にはサインができません』で十分である。

(138頁)

 

仕事への向き合い方は「巨人の星」ばりである

 

高橋氏が料理長になったばかりの頃、パリ

「タイユヴァン」(というレストラン)の料理長が

志摩観光ホテルを訪ねて来られた。

(料理の感想を)「いかがでしたか」と聞いたら、

フランス人に怒られた。『おまえは料理人として

この職業にかけているんだろう。なぜ、料理が

うまかっただろうといわないのか』

その言葉には大変教えられました、と高橋氏。

 

努力と勉強と才能、そしてそれがもたらす自信。

読み直すたびに刺激となるものがあった。

仕事への真摯な向き合い方と溢れる好奇心、

一見料理と関係のない読書を通じての豊富な

知識がフランス料理へと昇華する。

 

高橋料理長と言えば 「伊勢海老のクリームスープ」だ。

「これ食わずして、伊勢志摩を語るなかれ」(by本人)。

そして、

「私はここのお客さんには、少年の心と大人の財布

を持って(笑)きていただきたいといつも言ってます」

 

迷ったらエスコフィエを読む。フランス料理の基本は

すべてエスコフィエが書いている。学生の時に

エスコフィエという単語をこの本で知った。

余談だが、つぎにその言葉を目にしたのが、

レクター博士が★肉をその本を見ながら

調理していた時であった。おーやっぱりエスコフィエ!

 

 

この本のもとになったインタビューが雑誌に連載された

のが1986年であった。その当時はまだまだこのような

ホテルやレストランの厨房仕事は男性社会であったようだ。

高橋氏も料理を組み立てる力(創造力)や物理的な意味

での力で女性の力不足を指摘していたが、時は流れて

幾星霜、現代のシマカンの総料理長は樋口宏江さん

という女性の方だ。

 

 

きっとこの樋口総料理長の繰り出す料理も、シマカンの

伝統を踏襲し、創造を加えたものなんだろうと思うと

行ってみたくなった。