遣独潜水艦作戦と『深海の使者』(吉村昭著 読書㉒) | そういえば・・・

そういえば・・・

橋本商工株式会社の社長のブログです

大和ミュージアムの中に小さい潜水艦のレプリカが飾ってある。

伊52潜水艦である。呉海軍工廠は戦艦大和の専属ではなく

軍艦建造のデパート、作れない軍艦はなかった。

潜水艦もジャンジャン造った。伊52も呉生まれである。そして

それは日本の潜水艦の中でも珍しい運命をたどった艦であった。

 

 

 

戦争の激化で、ドイツとの情報の交換が日を追うごとに

難しくなり、なかんずく最新の軍事情報の途絶は相対的に

日本軍の弱体化へと繋がっていった・・・

 

 

そんな中、枢軸陣営の日本とドイツは連絡手段に潜水艦を

使うことを思いついた。日本はドイツの最新技術である

ウルツブルク(レーダー)、ジェット推進機、ロケットエンジン、

暗号技術、高速ディーゼルエンジンなどを欲しがり、他方、

ドイツは南洋資源である生ゴム、ボーキサイト、スズ、

モリブデンに加え、酸素魚雷、潜水艦の自動懸吊装置、

飛行艇の技術など軍事技術を必要とした。

 

 

酸素魚雷。日本以外の国が開発を断念した、帝国海軍秘中の

兵器である。いわく、燃料に酸素を使用しているため、燃焼ガス

が二酸化炭素となり海水に溶けるため、雷跡が見えずらく、

攻撃時の隠密性が向上する。また魚雷の航続距離と推進力が

アップするため、長射程の発射が可能であった。

 

(潜水艦)自動懸吊装置。潜行時の潜水艦の水平を保つための

装置で、従前はポンプを使ってバランスをとっていたが、その

動作音とエアブロー音の大きさが静粛性を保つ上で大きな

問題となり、この装置がそれらの解消に大いに役立った。

 

酸素魚雷の戦果で特に目ざましいのは伊19潜の戦果である。
それは日本海軍の戦果の中でも屈指のものであった。
木梨鷹一艦長指揮の元、6本の酸素魚雷を発射し、5発が命中。
3本命中した米正規空母・ワスプを撃沈、1発命中の戦艦
ノースカロライナを中破、1発命中の駆逐艦オブライエンを大破
(のちに沈没)させる大殊勲をあげた。酸素魚雷の攻撃力、
ならびに長射程の威力がいかんなく発揮された一戦であった。

 

ワスプ炎上(のち沈没)  日本海軍の絶頂  酸素魚雷礼賛

 

 

話をもとに戻す。日本からドイツに向かった潜水艦は全5隻(5回)。

上述の戦果で英雄となった木梨中佐も伊29潜で第4回遣独作戦

に従事し、往路無事ドイツに到着。様々な軍事機密を満載し、

連合軍の攻撃をかいくぐり、あと日本までもう少し、という

フィリピン付近で米潜水艦隊の待ち伏せ攻撃を受け、艦、

乗組員、貴重な搭載物とともに海に沈む。

広い太平洋に待ち伏せとは・・・要するに日本の暗号は

連合軍にバレバレの状況であったのだ。

 

 

そしてその次にドイツへ第5次遣独艦として派遣されたのが

伊52である。しかしながら日を追うごとに枢軸側の戦況が

悪化している中での派遣は、大西洋はほとんど連合国が

制海権を有する中に飛び込んでいくという、無謀な作戦

でもあった。

 

潜水艦乗組員に交じって、多くの民間企業の一流技術者も

伊52に乗り込んだ。

  水野一郎氏  (日本光学工業)は対空射撃用高射装置

  岡田誠一氏  (富士電機)は対空機銃射撃装置

  萩野市太郎氏  (東京計器)は対空射撃用安定装置用

    ジャイロ

  諸井保治氏  (愛知時計電機)は射撃盤関係

  藁谷武、蒲生郷信氏  (三菱機器)は高速魚雷艇

それぞれの技術者がドイツの最新軍事技術の習得の

ために、危険を冒して乗り込んでいった様は、全くもって

頭の下がるところであった。

これら企業は現在、橋本商工のお客さんであったり、

取り扱いメーカーさんだったりするから感慨深い。

 

 

結果はどうであったか。ドイツ占領下のフランス・ロリアン

軍港手前のビスケー湾に設定したランデブー地点に

伊52現れず、沈没確実となった。

 

 

戦後わかったことは、独潜水艦と伊52がランデブーする

ことを暗号解読から察知した米軍は急ぎ、その水域に

護衛空母ボーグを急行させた。そして空母艦載機の

投下したソノブイ(小型ソナー)と音響誘導式魚雷により

伊52は撃沈されたのである。

 

この戦闘で特筆なのは、すでに米軍は音響誘導式魚雷

(Mk24機雷)を実戦で使用していたことと、深夜1時に

攻撃機(アベンジャー雷撃機)を発着艦出来ていたという

ことだ。真っ暗な中、洋上を飛ぶ飛行機が無事空母へ

帰投できるということは、母艦と航空機のレーダーが

それぞれ機能、連携していなけれ不可能な作戦である。

 

Mk24機雷 魚雷なのに「機雷」と称すあたりが軍事機密らしい

ずんぐりした魚雷だが、多くの独潜水艦を撃沈した

 

電子兵器の発達に伴い、それを有する軍と、そうでない軍の

差が大いに開いた第二次世界大戦終盤。とてもとても

酸素魚雷で戦局が挽回できるはずがないことがわかる。

 

 

そしてこの話を吉村昭が『深海の使者』に著わしている。

淡々とした筆致と豊富な取材で、任務遂行に努力し、
しかし散っていく日本人を描いた名作である。