昼休みにインターネットでニュースを見ていて驚いた。
「京大の総長が今春の入学式でボブ・ディランの『風に吹かれて』の歌詞を
引用したスピーチをしたら、JASRAC(日本音楽著作権協会)から使用料の
支払いを打診された」とある。たとえが違うが、掻き分け、かき分け追いかけて
くる様は「平家の残党への源氏の詮議の厳しさ」のよう。
(京都大学 第26代総長 山極 壽一氏)
著作権保護、アーティストの権利保護の流れには一定の理解もするが、
このようなパブリックな場での営利目的でない、なおかつ〝あの″京都大学の
総長先生が若者に対してはなむけとしておくった言葉に『課金』するというのは
はなはだ不愉快な出来事だ。
学問の世界では当たり前だが、引用先を明示すれば知的財産の粋である、
論文などの引用も盗用とはみなされないし、またそれに費用が掛かることもない。
京大H/Pでも(“ ”は、Bob Dylan氏の「blowin' in the wind」より引用)とある。
JASRAC絡みでもう一つ。音楽教室で使用する楽曲(練習曲)に関してもJASRAC
は使用料を求める方針だとか。なにか完全に〝向こうの世界″に行っちゃった感
がしますが、この憂慮すべき事態に当然反対の声も上がり、署名活動をし、
所轄官庁(文化庁)へ、もしその使用料規定案が提出された場合は、取り下げの
指導を求めていくそうだ。
行き過ぎた資本主義の権化のようなJASRAC。
そういえば最近では航空会社(主にアメリカの格安航空が主戦場のようだが)では、
会社側による勝手なオーバーブッキングやフライトのキャンセルなど、客の都合を
無視した運用が問題になっているが、これも資本の論理。需要と供給、安いの
だから不便やリスクはつきものといった、手前勝手な論理がまかり通り、さすがに
彼の国でも問題になっているらしい。それに対してデルタ航空がオーバーブッキング
で席を譲ってくれた人に最大で1万ドルの謝礼を支払うというのも、冷静に考えて
みればやっぱり資本の論理だ。
アメリカの〝強欲″資本主義に範をとると、権利の行使と、意にそぐわなければ
訴訟の連発となるのは当然の帰結である。
話は変わるが、以前聞いた話を。スウェーデンのボルボ社のマークを見たこと
あるでしょうか。あのマークはシートベルトあしらったもので、「三点式シートベルト」
の原理はボルボが発明したものだそうだ。
(シートベルトがかかっています)
その時ボルボはパテントこそとったものの、無償で公開。ダチョウ倶楽部では
ありませんが、「さあ、どうぞ どうぞ」。曰く人命にかかわる装置なので、ひろく
世界に普及させるべきだ、パテントで独占しない、ということ。
強欲な資本主義至上主義側の人間に爪の垢を煎じて飲ませたくなるような話です。
図書館の本というのはどういうシステムになっているのでしょうか。利用者からしてみれば
本をタダで借りることのできる図書館だが、一方、作家の立場でいえば大手を振ってまわし
読みされている状態。1冊を10人が読めば、9冊分の売り上げに影響を及ぼす。まさに
これも著作権の侵害である。(私が知らないだけでちゃんと作家に9冊分に相当する
インセンティブが支払われているような気がいたしますが・・・)
話を元に戻すと、最近は残念ながら、JASRACの方針を後押しするかのような
流れが世界を覆っている。例えばアメリカがそれ以外の国に対して、自国の
知的所有権の保護を大きな外交政策、優先課題に挙げているのも彼ら
(JASRAC)の強気の源の一つであろう。同じ方、向いてるからね。
将来『音楽を口ずさむと課金』されないようにするためにも、ここらで創作者の
権利と市民が無償で作品を享受する権利をお互い、行き過ぎのない範囲で
指し示してもらいたいものだ。
芸術作品は人々に鑑賞されてこそ意味があり、価値が出るものである。