ナショナルジオグラフィックの記事『古代エジプト、クフ王の母ヘテプヘレスの黄金の財宝と遺体の謎』からイメージを得て、3DCGと絵を描きました。

 

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右差し要約

 

 1922年、財宝がぎっしり詰まったツタンカーメン王の墓の発見は、欧米の人々を古代エジプト魅了した。

 1925年2月2日、紀元前2500年頃に建造されたクフ王の大ピラミッドの近くで発掘を始めた。すると、不規則な形の狭い立坑(シャフト)を見つけた。深さは25メートルもあった。立坑は瓦礫で埋まっていて、墓であることを強く示唆していた。しかしギザでは数千年にわたって盗掘が繰り返されていたため、手付かずの状態である可能性は非常に低かった。
 3月7日土曜日、大きな部屋が見え、扉の東西に少しずつ広がっている。手前に石棺らしきものが見え、先端が金色をした棒か杖が数本、上に置かれている。床に置かれているものの中にも、金色をしたものがかなりある。この墓が盗掘にあっていないことは間違いない。
 見つかった未盗掘の墓(公式には「G7000X」と名付けられた)を再び封印する
 新発見に関する記事を英ロンドンの新聞に掲載させた。この墓は第4王朝時代の創始者であるスネフェル王のものではないかという憶測が飛び交ったが、ボストンにいたライスナーは、墓は王族の女性のものだと反論した。
 G7000Xの発掘の再開は1926年1月までずれ込んだ。ついに石棺のある部屋に入ったライスナーは、金箔をはった家具が水による損傷を受けていて、崩れてしまうのではないかと心配になるほどひどい状態であることを知った。木片や象嵌(ぞうがん)細工の破片を回収するのは、繊細で骨の折れる作業だった。
 部屋からは、天蓋とベッドのほか、現存する世界最古の椅子のひとつと言われる肘掛け椅子と精巧な輿(こし)も回収された。輿には「ヘテプヘレス」という名前が刻まれており、この墓に葬られた人物は女性であるというライスナーの考えを裏付けていた。ヘテプヘレスはスネフェル王の妻であり、ギザの大ピラミッドを建設したクフ王の母だ。彼女の墓は4000年以上もの間、大ピラミッドの陰に隠れていたのだ。

行方不明の遺体

 ヘテプヘレスの石棺は1927年3月に開けられたが、遺体は入っていなかった。遺体に何が起きたのか、歴史家たちは現在も議論を続けている。ライスナーは、ヘテプヘレスはもともとダハシュールにあるスネフェル王の墓の近くに埋葬され、その後クフ王がギザに新しい墓を作ったが、遺体はそこに移されなかったのではないかと考えていた。他にも、大ピラミッドのふもとにある小さなピラミッド「G1a」に埋葬されたのではないかとする説もある。
 発掘後、肘掛け椅子は修復され、現在はカイロのエジプト博物館に展示されている。1942年にライスナーが死去すると、G7000Xから見つかった破片に再び関心が集まり、膨大な作業の末に、金色に輝く別の精巧な肘掛け椅子も復元された。この椅子は現在、米国マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学古代近東博物館に収蔵されている。

 

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黄金の肘掛け椅子

 


王妃の間

天蓋は25のパーツから構成されており、分解された状態で見つかった。支柱には、ハヤブサの頭をもつ神ホルスのレリーフが彫られている。金箔をはった箱がいくつかあり、その1つであるこの箱には、天蓋を覆っていたカーテンが収められていたと考えられている。肘掛け椅子は金箔で装飾されている。椅子の肘掛けはパピルスの花をモチーフにしていて、脚はライオンのかぎ爪をかたどっている。金箔をはったベッドには見事な彫刻が施されている。ベッドの支柱は、足や爪までそろったライオンの脚の形をしている。古王国時代の墓でよく見られる銀と金のヘッドレストは、金のたんすの中に入っていた。

 1926年1月、ヘテプヘレスの墓を開けた考古学者たちは、黄金の副葬品に衝撃を受けた。金箔をはった椅子、ベッド、分解された天蓋は、墓に流れ込んだ水によって激しく損傷していたが、修理不可能というわけではなかった。綿密な修復を経て、多くの副葬品がかつての華やかな姿を取り戻した。 
 

 

 

 

 

 

ウクライナ対ロシアの戦争が終わるまで、掲載を続けていきたいと思います。

 

 

平和への祈り「鳥の歌」

 

 

 

ウクライナ民謡