『good!アフタヌーン』にて連載中の、『ビリオネアガール』の打ち合わせ中に、こんなことを言われた。
担当さん「今回のヒロインの台詞、まるっきり支倉さんのツイッターの喋り方ですよね!」
私「(´・ω・)」
私「ええ。なにせ、その原作とついったーを書いているほうの支倉は同じ美少女ですから。よくわかりましたね 」
中の人などっ……!
と言う話。
これで関連して思い出したのが、文体のこと。
以前、文芸の編集者の人のブログを見ていて、そこで編集者の人が文体について話していたのです。
とある作家さんの弟子の頃の話、なんて言って文体にまつわる話をしていたんですよ。
曰く、「Aという作家の弟子をしていたころ、毎週毎週短編小説を先生に見てもらっていたが、まともな評価をもらったことがない。ところが、ある日突然、大して出来がいいとも思えないものを、先生が文芸誌に推薦してくれた。その時の評が、「この小説にはこの行まで文体がある。この行までは、小説になっている」というもの。しかし、書いた本人には全く分からないので、先生と仲が良かった別の当時の売れっ子作家にも見てもらったところ、やはり同じ評価だった。文体とは何ぞや……」と言う話。
私はそれを読んで、まーた文芸のお偉いさん方はさすが話の内容が違いますなあ、とか思ってたんです。
で、それから月日が流れ、ある日仕事場で、あざのさんの書きかけの原稿を読んでみたら、すごい驚いたんです。
文章が、あざのさんの喋りそのものだった!
単語の選び方とか、句読点(息継ぎ)のおきかたとか、まるっきりあざのさんそのもの。
鈴木大輔大明神の『ご愁傷様二宮君』も、大明神が喋ってるみたいだった。
私はそれを見て、此れが文体と言ふものか……と思いました。
まあ、実際のところ、長いこと書いてれば特に意識しなくとも文章なんてでてくるし、それって喋るときの言葉の選び方と一緒でもなんも不思議じゃないよなあ、と。
地の文に特に強烈にでてくるけど、まあ、キャラの動きや喋りにも影響するはず。
そう言うわけで、話が冒頭に戻るわけです。
いや、実のところ、作中のヒロインが実はその作者にそっくり、というのはよくある話ですよ。(本当)
まあ、ホロと紫は本当に美少女が書いているんですけどね。(´・ω・`)
中の人などっ……!