先日、父が天に還りました。
享年88の大往生でした。
約二年程前にステージの進んだ
癌が見つかったのですが、

現代医療は行わず、
分子整合栄養医学と食事療法などで、
寛解の状態となっておりました。
けれども二年が過ぎてから、
目に見えて各器官が衰えてきて、
お盆明けに肺炎にて逝去しました。
(最後まで転移していませんでした)

その日は、兄弟や親せきが、
夕食後の団欒で、たまたま「未来の夢」を語っていて、
皆が語り終わった後、静かに息を引き取ったとのことです。
自宅での看取りでした。

その報告を受けた翌日、北海道に飛び、
棺に入ったばかりの父と対面しました。
父の顔の傍らには、かつて書いた本のカバー、
「一寸先は、光です」が入っていました。

妹に聴くと、「なんか、これを入れたかったの」
といいました。 
その後、身内だけの家族葬をしたのですが、
理解ある葬儀屋さんの許可を得て、
美大に行っている甥っ子と共に、棺いっぱいに絵を描かせていただきました。

そこに描いたのは、父が好きだったものやこと。
沖縄の海にハイビスカス、床屋さんだった父の
お店の姿やハサミや櫛、父母の結婚式の姿、
ソフトクリームにお饅頭などの甘いもの。
(病気を患ってから一切、食べていなかったのです)その他諸々。
気が付くと、全面ハデハデに…(汗)。

ラストの絵は、大きなニコニコの太陽を描いて、
居合わせた身内が、寄せ書きのように、その周りに言葉を書きました。
感謝で綴られた言葉たちが並ぶ中、
まだ元気な母に、もっと何か書いて、といったら、
少し考えてから、一言書きました。

「楽しく生きる」
と。

それは生前の父が、母にお願いしていた言葉でした。
こうしてしめやかに葬儀も終え(前代未聞の棺をみて、
葬儀屋さん、驚いただろうなぁと思いつつ…)

いよいよ最期のお別れの時、
内側から溢れた言葉(人には聞こえないけれど)が、
自分でも意外でした。

それは、「天晴れ!」と「いってらっしゃい」。
父の新しい旅立ちにむけての言霊でした。

葬儀が終わり、実家の整理を始めました。
64年の長きに渡り、十勝の浦幌町という町で、
床屋さんとパーマ屋さんをしていた父と母。

昨年まで現役で働いていたのですが、
そこには博物館入りしそうな、いかにも「昭和レトロ」な、
床屋さんとパーマ屋さんの道具が、
同じく現役で働いていました。

娘である私たちは、「なんだか博物館にいるみたいだ」
と言って笑っていたのですが、
その後、思いがけない展開を経て、
店のものを処分する前日に、たまたま聞きつけた、
町の博物館からお話があり、本当に博物館入りすることになったのです。

実は私が生まれ育った町には、かつて縄文集落があり、
遺跡もたくさん出てきます。
それらを展示している町の博物館で、
父母が使っていた道具たちが仲間入りするとはビックリ。
縄文女子の私としては、なんとも感慨深い…。

もしお近くの方がいらしたら、9月末まで、
期間延長で展示しているとのことですので、
よろしければお立ち寄りくださいませ。

浦幌町立博物館

今、このブログを、湘南の家に帰ってすぐに書いています。
寂しくないかと聞かれれば、もちろん寂しいのですが、
父が心の奥で共にいてくれるように感じています。
と同時に、父の家族を想う気持ちも、言葉を超えて感じます。
「ご先祖様」の想いって、こういうことなんだなぁ…と、
学んでいます。ありがとう、お父さん。

さて、あらためて、「一寸先は、光」
この言霊を深く感じ入りたいと思います。

なんだか長くなっちゃった…すみません!
今日はこの辺で筆を置きます。最後までお付き合い下さり、有難うございました。

PS
写真は、実家を整理した時に出てきた、
床屋で父が抱っこしている赤ちゃんの頃の私と、
町の博物館での展示の様子、
そして飾られている縄文土器の写真です。