おはようございます。
今朝もいい天気になりました。
お約束の35℃超えが予想されますので、熱中症の注意は必須です。
しかし、このところ突然の雨が続きますが、よく見ると雲の位置が低く感じます。
母いわく、「雲が垂れ下がると昔はよく言っていたものだよ。」とのことで、暑さで急激な雲ができ、完全な雲にならないうちに降るからスコールになるのかもしれません。
今日のスカイツリーは、薄い感じの背景での1枚です。
足立市場前は、電車の姿はありませんが、ゴミ出しの時に日比谷線の1枚が撮れました。
これから、ますます暑くなりますが、今日も元気で行ってらっしゃい。
おまけ、
娘から、「ポケモンのスタンプラリーに協力して。」とのことで、昨日は、上野、お茶の水、両国の要所のスタンプを協力しましたが、お茶の水に行った時に、久々に神田明神をお参りしてきました。
簡単な説明ですが、
社伝によると、天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されたのが始まりと言われます。
神田は、もと伊勢神宮の御田(神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した
承平5年(935年)に平将門が乱を起こして敗死し、平将門の首が京から持ち去られて近くに葬られ、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けました。
しかし、嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして時宗の遊行僧・真教上人が供養がし、延慶2年(1309年)に相殿神とされました。
戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。
すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました
江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。