おはようございます。

 

週末お出かけには絶好の天気になりました。

朝のゴミ出しの時は、少しひんやりしていましたが、陽が当たり始めたら、暖かくなってきました。

 

 

直射日光が当たると痛く感じますので、お出かけの方は紫外線対策を万全にお出かけください。

今日のスカイツリーは、昨日同様に天気の中での1枚が撮れました。

足立市場前は、JRの通過とゴミ出しの時につくばエクスプレスの通過が撮れました。

連休明けで、何かと忙しい日ですが今日も元気で行ってらっしゃい。

 

 

おまけ、

今日は、上野公園にある神社のお伝えです。

普段、何気なく歩くと気がつかないことがありますが、隣接している2社がありました。

① 五條天神社

社伝によれば、日本武尊が東征のおりに大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀ったものとされ、尭の『北国紀行』にも文明18年(1486年)1月に「五條天神」の記述があります。

少なくとも室町時代中期には上野山に鎮座していることは明らかですが、寛永寺の拡張などで社地は何度か移転して、江戸時代初期までは天神山上(現在の上野公園内摺鉢山上、清水観音堂のあたり)、その後寛永寺黒門(旧本坊表門)脇(現在の上野公園南端)を経て、元禄10年(1697年)に連歌師の瀬川屋敷へ遷座し、昭和3年(1928年)9月22日に創祀の地に最も近い現在地に遷座されたました。

② 花岡稲荷神社

創建年代については不詳で、五條天神社が移転する前からこの地にあった神社です。

一説に空海が東寺の門前に建てた稲荷山を太田道灌が勧請したとも、天海が勧請したとも、のちに木食浄雲により再興されたとも伝えられるますが、詳しくはわかっていません。

社伝では、承応3年(1654年)に天海の弟子晃海により再興されたと伝えられます。

幕末には上野戦争(黒門・穴稲荷門の戦い)の舞台にもなりました。

明治6年(1873年)に周囲が寛永寺の花畑であることから花園稲荷神社と改名され、現在の花園稲荷神社の社殿などが整備されました。

2社には、縁結びのご利益があると言われ、多くの女性がいたのには驚き、普通にしていればいくらでも縁がありそうな感じですが出会いと自分の基準が合致しないのかな?と思いました。