こんばんは。

 

先程帰りました。

今日は天気にも恵まれ、雨予報でしたが何事もなく終わりました。

 

 

母からは、「せっかくだから、湯島天神でも行って来たら。」と言われました。

あのエリアは、昨年行った岩崎邸、過日行った不忍の池と並び有名なところなので、タイミングも良く行ってみました。

ただ、湯島天神はボリュームがありますので、別の時にまとめてお伝えします。

 

 

今日は、湯島天神へ行く途中に見かけた江戸時代から続く老舗2店を紹介します。

仲町通りを通る時に見つけました。

① 上野蓮玉庵

このお店は、私の悪友の群馬のYのオジキ、そば好きの我が息子と出かけたことがあります。

江戸幕末の著述家で神田の名主である斉藤月岑はそばにも薀蓄があり、その番頭に信州伊那谷出身で茶の湯、俳諧で大の蕎麦好きの久保田八十八がいて、安政6年(1859年)に池之端に「蓮玉庵」を創業したのが始まりと言われています。

 

「蓮玉庵」の店名の由来は、風流人だった久保田八十八が店を開く前の夏に、不忍の池の蓮の花を見に行って、蓮の大きな葉に朝露がきれいな玉となって朝日に輝いていたのを間近にして、その美しさに感動して「蓮玉庵」という店名が思い浮かんで屋号としました。

このお店には、数多くの文人、歌人が訪れ、作品に名前が出てきます。

・斉藤茂吉ー短歌で「池之端の 蓮玉庵に吾も入りつ 上野公園に行く道すがら」と詠んだ。

・森鴎外ー雁にお店の名前がでてくる。

・坪内逍遥ー当世書生気質にお店の名前が出てくる。

・樋口一葉ー日記に名前が出てくる。

・久保田万太郎ー「蓮玉庵」の入口外壁に"蓮玉庵のために"「蓮枯れたり かくて てんぷら 蕎麦の味」と刻まれた直筆の石額があります。しかし、写真が逆光のため撮れませんでした。

② 守田治兵衛商店(守田宝丹)

初代が上野池之端に延宝8年(1680年)に開き、13代目が現在も受け継ぎ、家庭用の医薬品として有名な「立効丸」と「宝丹」を販売し続けています。
「立効丸」は生薬からなる丸薬で、せきをしずめ痰をとりやすくする点で効能があることから現在でも愛用する人が少なくありません。「宝丹」はオランダ人医学者のボードワン博士の処方をヒントに開発された薬で、種々の疫病に効くということで常備薬として重用されました。

(注)

・寶丹は、文久2年にコレラの予防薬として発売された薬の名で、9代目は自らの名として用いた。この薬は明治4年に官許第1号の公認薬となり、万能薬と して日清、日露戦争では軍の必携薬となった。その後改良され、今でも胃腸薬として売られています。

・ボードワン博士は、文久2年に来日し明治3年に帰国するまで在日し、明治の医学界に貢献する傍ら上野公園の造成を提唱した。上野公園の噴水そばには、公園生みの親として博士の胸像が建っています。

近く、ボードワン博士の像を見てくる予定です。

 

この後、湯島天神を見ましたので、後日お伝えします。