おはようございます。

 

今朝も、昨日に続きいい天気になりました。

朝は多少ひんやりの朝でしたが、時間が経つにつれ暖かくなってくる模様です。

 

今日までは、いいお花見日和かな?と思われます。

また、何気なくぶらぶら歩くには絶好です。

 

 

今日のスカイツリーは、少し巻子だ感じですが、昼頃にはスッキリした姿になると思います。

足立市場前はつくばエクスプレスの通過が撮れました。

最近は、つくばエクスプレスと相性がいい感じです。

間もなく5月の連休が近ずくので、街歩きが楽しみになってきました。

今日も元気で行ってらっしゃい。

 

 

おまけ、

最近は、浅草に加え、上野ウオッツチャーとして街歩きをしています。

浅草で、駐輪場に自転車を止めて上野まで街歩きをする流れです。

昨日は、浅草から合羽橋を抜けて上野まで歩く途中、松が谷エリアを歩いているとある事に気がつきました。

浅草~上野エリアにやたらお寺、仏具屋が多く、タレントの山口もえさんの実家も仏具屋でこのエリアにあります。

さらに、各お寺の前に、説明板がかなりある事に気がつきます。

今回は、その松が谷エリアで見つけた1つをお伝えします。

 

上野に向かっている時に、浄土宗寺院の聖徳寺というお寺を見つけました。

聖徳という文字は、松戸に住んでいた時に、聖徳学園があったので関係あるのかなと思っていたら、正面に玉川兄弟のお墓とあり立ち寄ってみました。

聖徳寺は、用明山四天王院と号し創建年代は不詳ですが、聖実清公上人が創建したと伝えられ、享徳2年(1453年)に加誉上人良祐和尚が浄土宗寺院として中興、徳川家康の関東入国翌年に坪根沢から平河へ、後大船、馬喰町への移転を経て、明暦3年の大火後今の場所に移転しました。

そこに、玉川上水を開削工事を指揮したことで有名な玉川兄弟のお墓があります。

元は、江戸の町人とも農家言われていますが、詳しくはわかっていません。

四代将軍家綱の承応2年(1653年)1月13日に幕命が下り、2月11日に着工され、工事費として幕府から7500両が下賜されたといわれています。


羽村から四谷大木戸に至る43キロの導水部は、承応3年(1654年)6月20日に完成しました。其の後給水地域は順次拡大され、江戸城内をはじめ四谷・麹町・赤坂の高台などの山の手から、芝・京橋方面に及びました。

現存する玉川上水は、江戸時代初期の土木技術を伝える貴重な文化財となっています。

 

※1口メモ

上水工事は2度失敗していて、1回目は日野を取水口としたとき、地面に水が吸い込まれてしまう「水喰土:浸透性の高い(関東ローム層)」、2回目は福生を取水口としたとき、工事の途中岩盤に当たってしまったことであり、水喰土の失敗跡は今でも残されているようです。

この功績で兄弟は「玉川」の姓を名乗る事が許され、上水の管理も玉川家の世襲とされましたが、元文4年(1739年)に職を剥奪されました。