おはようございます。

 

今日は、朝からいい天気で陽ざしも強いため、何気なくゴミ出しをしたら、ものすごく風が強く、冷たいため後悔しました。

油断していたので最悪な始まりになりました。

ただ、天気の良さと、風があるので洗濯物が乾きやすいと母は喜んでいます。

 

 

今日のスカイツリーは、3日ぶりにはっきりとした姿を見せています。

足立市場前は、残念ながら電車の通過が見られませんでしたが、ゴミ出しの時につくばエクスプレスの通過が撮れました。

まだまだ、気候が安定しないので、体調に気を付けて。今日も元気で行ってらっしゃい。

 

 

おまけ、

上野公園を見ると、いかにもひがしの京都的なものを感じます。

その1つが、前にお伝えした不忍の池で、もう1つが清水観音堂です。

清水観音堂は、寛永8年(1631年)に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって建立されました。

天海大僧正は寛永2年(1625年)に、二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に、平安京と比叡山の関係にならって「東叡山寛永寺」を開きました。これは、比叡山が京都御所の鬼門(艮=東北)を守るという思想をそのまま江戸に導入することを意味し、江戸城の鬼門の守りを意図したと言われています。

そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立しましたが、清水観音堂は京都の清水寺を見立てたお堂です。

清水寺にある舞台をそのままに小型的に、当時は、以前お伝えした摺鉢山古墳に建てられましたが、その後元禄7年(1694年)9月に現在地に移築されました。

御本尊も、清水寺より恵心僧都作の千手観音像を迎え秘仏としてお祀りしています。

〈1口メモ〉

京都の清水寺は、よく「清水の舞台から飛び降りる」と言われ、由来は思い切ったことをするときに、よく使われることわざ。 清水寺の舞台から飛び降りたという話は現実にありました。

 観音様に願をかけて舞台の欄干から後ろ向きに飛ぶ。 願いが叶えば無傷、だめでも極楽往生という死も恐れない信仰です。

実際、江戸時代には234人が飛び降りた記録があります。

亡くなった人は34人だそうですが、飛び降りの風習は明治5年(1872年)に京都府から禁止令が出されました。