おはようございます。

 

今日は、曇りの朝になりました。

今日は、何時雨が降ってくるかわからない模様です。

 

天気は、あいにくの様子ですが、暖かさは春に近くなったいる感じはします。

今朝のゴミ出しの時も、この1週間でかなり違っていると思います。

 

 

今日のスカイツリーは、曇り空の中での1枚で、足立市場前はつくばエクスプレスの通過が撮れました。

今日は、市場はお休みです。

週中、疲れが出てきますが今日も元気で行ってらっしゃい。

 

 

おまけ、

皆さん、この団地を覚えていますか。

ブログの初期にお伝えした、都営白鬚東団地で18棟も並んでいます。

関東大震災で、かなりの火災旋風で犠牲者をだした教訓から、隅田川に沿って建てられ、防風壁の役割も果たし、過日のTV番組でも紹介されました。

さらに、榎本武揚の銅像があり、やはりお伝えしています。

今回は、榎本像のすぐ奥にある史跡を紹介します。

今まで気がつかなかったのを反省してのお伝えです。

 

名称は、梅若塚です。

梅若塚は、謡曲「隅田川」で知られる「梅若伝説」に登場する伝説上の人物である梅若丸の墓であると伝えられます。
 梅若丸は、京都北白川の「吉田少将これふさ」と美濃野上の長者の一人娘「花御せん」の子で、父の死後、7歳で比叡山に入り修行に励みます。

梅若丸の秀でた才能は評判になりますが、松若丸という同じく優秀な同輩との争いが原因で、みちのくの人商人(人買い)、信夫の藤太にかどわかされてしまいます。人間のひがみ、嫉妬は本当に醜いものですね。
 奥州に連れて行かれる途中、なれない長旅の疲労により重い病にかかり、藤太は梅若丸を隅田川のほとりに置き去りにしてしまいます。

里人たちの看病もむなしく、「たづね来て とはゝこたへよ みやこ鳥 すみたかはらの 露と消えぬと」という辞世の句を残し、貞元元年三月十五日、梅若丸はわずか12歳でその生涯を閉じます。

その死を哀れんだ出羽国羽黒山の高僧で下総の御坊忠円阿闍梨が墓を築き、一本の柳を植えて菩提を弔ったのが梅若塚であると伝えられ、梅若丸は山王権現として信仰の対象となっています。