こんばんは。
先日、ある番組のサプライズで、子供の頃見ていた、「8時だよ全員集合」のメインで、ザ・ドリフターズの中心の加藤茶さんが出た時、足元がおぼつかない状態の歩きを見て、更に、メンバーの仲本工事さんも、中学時代は体操のチャンピオンになるくらいの運動神経なのに、道路の横断中に交通事故で亡くなったことを見ても、時の流れを感じます。
3年前には、志村けんさんも、コロナとはいえ、亡くなり、寂しいものと感じます。
今の方は、ザ・ドリフターズと言えば、志村さんと加藤さんが思い浮かぶと思いますが、私的には志村さんの前のメンバーの荒井注さんが、一番印象に残っています。
当時の、「8時だよ全員集合」は、とにかくドタバタコントのイメージが強く、全員が身体を張っている感じでしたが、荒井さんは、何故か一言で笑わせてもらった感じが強かったですね。
「何だバカヤロウ!」「文句あるか!」、「何見てんだよ!」、は今で言う逆切れ芸のパイオニアで、晩年は「This is a pen!」の英語の一言芸の先駆けとして有名です。
荒井さんは、二松学舎大学国文学科卒業後、脚本家を目指しながら、音楽バンドグループに参加していたとのことで、、中学と高校の国語の教員免許は持っていたので言葉遊び的な実力があったのかもしれません。
ザ・ドリフターズの参加のきかけは、「トリスおじさんみたいな面白い顔をした奴がいる」との評判を聞きつけたリーダーのいかりや長介さんにスカウトされて、ザ・ドリフターズに参加しました。
担当楽器はピアノだが、ロカビリーのスリーコードしか弾けなかったという話があります。
事実なら音楽バンドとしてはダメですが、コントとして、「ふてぶてしい」キャラクターと相まって、ドリフの人気に繋がった面があったと思います。
ドリフ在籍の後半は「ハゲキャラ」としていじられることが多かったが、、「8時だよ全員集合」は、かなりハードな仕事だったみたいで、1974年3月に「体力の限界」を理由にドリフを脱退しましたが、いかりやさんのコメントは、「暫くお休みをいただく」というものであり、脱退するとは一言もなかったと思います。
ザ・ドリフターズ脱退後は、『全員集合』オープニングの振付師でもある、藤村俊二さんとのコンビで、クイズ番組にも準レギュラーとして出演していた。更に、「時間ですよ」のホームドラマにも出ていました。
俳優としての活動も展開し、人気シリーズであった、天知茂さん主演『江戸川乱歩シリーズ』に明智小五郎の盟友、波越警部役で出演し、天知さんの死去により最終作となった1985年の第25話まで演じたていました。
私的には、お笑いと俳優で、一時代を築いた先駆者として思い出に残るタレントだったと思います。

